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#31 神様、私に赤ちゃんをください


私たち夫婦の国際結婚は日本で始まり、女の子と男の子を順に授かった。

「女の子も育てたい、男の子も育てたい」その気持ちが満たされたのだから、夫も私も家族のカタチは出来上がった、と思っていた。

その家族がイギリスに移住してまだ数年の頃だった。

私に赤ちゃんが欲しくなったのだ。それを聞かされた夫は戸惑いを隠せなかった。

もっと言えば、すでに『完成した』つもりでいた夫は、もう一度乳児のおむつを替える生活をやり直すことが、想像できないと言った。

私といえば、何をする時も一緒にいた息子が小学校へ上がってしまった時、自分一人が取り残された気がした。
昼間、『お母さん』である時間がなくなってしまった、アイデンティティーの喪失だった。

そういった時に限って、日本人のお友達の間にも、スクールの送り迎えで顔を合わせるお母さんたちの間にも出産ブームが起こっていた。

いや、もしかすると、思えば思うほど、妊婦さんや赤ちゃんしか目に入って来ない現象でしかなかったのかもしれない。

当然のことだが、妊娠するには夫婦の合意が要る。さすがに夫の気持ちは知っていたので、自分の気持ちが消せるものなら消したいと思った。
でもいったん思い込むと、もうどうにもならずに、寂しくて、居ても立っても居られない状態が続いていた。


聖書の中に、不妊の女性ハンナが、どうか赤ちゃんをくださいと、一心不乱に神様に祈る場面がある。
あまりに感情的に祈ったので、大祭司はハンナをみてぶどう酒に酔っていると思ったほどだったとあるが、そのハンナの祈りが神様に届き、男の子を授かるのだ。

私にはその場面が頭を離れず、同じ神様だもの『自分にもそのようになる』気がして、一心に神様に祈っていた。

長男が今でも、信じられないという顔で言う。「あの時、お父さんはArgos*から一番リアルに見える赤ちゃんの抱き人形を買ってあげる、と言ったんだよね」

*Argos (アルゴスはイギリス大手のカタログ販売店。何から何まで載せたカタログはかつて一家に一冊はあるものだった)


娘や息子も、妹か弟は欲しいと思っていたので、家族内で、「赤ちゃん欲しい」は多数派だった。

結局、みんなで家族会議をしようということになった。

今にして思えば、娘は母の私がどのくらい思いつめているかを感じていたのであろう。八歳の娘が涙ながらに「お父さん、お母さんに赤ちゃんをあげてほしい。おねがいだから・・・」と訴えた。

ここまで子どもが主張してくれている、と私にもスイッチが入り、現実的に高齢出産には、障害児である確率も上がることを真剣に話して聞かせた。子どもたちの覚悟を訊いておかねばと思ったからだ。

感受性豊かな娘は、まるでそれが現実になったかのように号泣を始め、私が『ちょっと酷なことを突きつけたかも』と思い始めた時だった。

「それでもいい。どんな子が生まれても、私たちの妹か弟だから愛して守る」としゃくりあげた娘。

ああ、娘の涙、最強!

私の懇願にはまるで耳を貸さなかった夫が、娘の涙にバキュンと撃ち抜かれたのだ。夫が娘を抱きしめた時、私には神様が私にウインクをしてくれたように思えた。

娘よありがとう!

イギリスでの出産はいろんな面で日本と勝手が違った。

日本で妊婦だった時に、毎回緊張して嫌だった『内診』が出産時までただの一度もなかった。『なんだ、これで済むのか』とどれだけ拍子抜けしたことか。

分娩時は、低周波の電流で神経を刺激することで陣痛を軽減させるTENSマシーンを使う人が多い。その上、硬膜外麻酔を普通に希望でき、笑気ガスも普通に使う。
それらのどれもなかった日本で出産済みの私は、自分でTENSを準備し、病院には笑気ガスをお願いしていた。硬膜外麻酔は赤ちゃんにも麻酔が移行するのでさすがに避けたかった。

生まれて初めての笑気ガス。そのおかげで陣痛が1ミリでもラクになったとは思えなかった。辛いものは辛いのだ。
だが、笑気ガスはちょっとほんとに可笑しかった。痛くて辛くて泣いているのにわらっていた。
終わって外される時に、私、”Don’t take it away!” (持って行かないで~) と叫んでいたという・・・(/ω\)


この子の出産に関しては、納得できないことが次から次へと起こっていく。
それはここでも少し触れたが、まだ細かく話す心境には至っていない。

そんなこんなの苦悩があっても、それを払拭して余りあるほどのしあわせを貰った。

特に、夫にとってもこの次男なしの人生は考えられないほどに、彼らの絆は深い。


あの家族会議から、なんと皆大きくなったことだろう。

あの時私の願いが叶えられていなかったら、長男が家を離れた七年前に、子どもとの生活は終わっていたはずだったのだ。

私たち夫婦の日々を彩ってくれた次男は、上のふたりがあまり知らない、親が老いていく姿と向き合わざるを得なかったのではないか・・・
とりわけ私の更年期鬱を目の当たりにさせてしまった・・・

人生はいいことばかりじゃない。
カッコ悪いところも、弱いところも全部見せてきた。

こんな私たちの元に来て、家族になってくれてありがとう、と

熱いかたまりがこみ上がる。

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