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#246 神さまの慈悲 【秋ピリカ応募】



「おともだちにねぇ、はねふうせんをもろぅてん」
電話口のみさおからこんな新しい言葉が出たことが驚きだった。『跳ねる』風船とやらを肴に会話ができるかも…とさきは仕事帰りに老人施設の母を訪ねる気になった。もっとも母がさっき言った事を憶えているとも思えないけれども‥‥

「元気やった?」
腰を下ろした咲の目に飛び込んだのは、紙で折った風船に羽根の生えたものだった。

「跳ねるんやなくて羽根ね!」と明るく言いながらも、咲は自分の心臓の『ドキン』という音を聞いた。


あれは小学生になって間もない頃だった。
「ほら。咲、こんな風船見たことないやろ?」
その日父がくれた藤色の折り紙の風船には羽が生えていた。
「可愛い!」大喜びしたあの時の自分自身を恨んだのは、咲が高三の時だ。父に他所に女性おんながいることを知った。父がくれた少女好みの物がどこから来たのか、点が繋がった時、泣きながら引出しの奥の羽根の生えた風船をクシャっと潰した。
 おっとりした操にはない感受性の鋭さが咲にはあり、母に絶対知られたくないことが咲の苦しみを倍増させた。信じてきたものが根底から覆された。受験に失敗したのは父のせいだと今も思っている。



草餅を料理鋏で切り分ける咲の手元を見つめていた操と志摩しまの顔が綻ぶ。
「シンさんも草餅好きやったがや」と言う操に、志摩も
「甘いもんには目ぇなかったね」と返す。
「ふふふ」とふたりで頷き合う。
しんさん? …志摩さんは父をご存知なのですか?」
「あんたのお父さん?知らんよ。あたしの旦那がシンさんやったがよ」
「あんたんとこもシンさんでわたしんとこもシンさん」


伸は咲になじられた後、志摩との関係を断ち、40年の月日家族を守った。
伸が逝って間もなく認知症を発症したことで、母の独居を危惧した一人娘の咲が、この施設に操を入居させた。

志摩は夢見た伸との人生を諦めたまま独りで老い、認知症発症を機にこの施設へ来た。羽根風船は折り紙作家だった志摩の作品だ。表面に残る見苦しい部分を左右対称の羽根に変えてスッキリさせた秀逸な折り方だ。志摩にとっては愛する人のもとへ飛んで行きたい一心で出来たものだ。



志摩があのひとだったと咲が理解した日、母とは既に親友と慕い合う仲だった。本来憎み合ったであろう女達は今、現実と理想の境界のない世界に住む。『認知症』は彼女達の疑心暗鬼まで溶かす魔法となり、その慈しみが操と志摩を少女のような表情にさせていた。
『シンさん』を懐かしむことで呼応し合う二人を見るうち、父がふたりを会わせたんじゃないかと咲は思ってしまう。
「みんなしていい気なもんやよ。私だけどんだけしんどかったと思とんのよ」心の中で悪態をいたら、笑いが込み上がる。来世は天真爛漫を選んで来てやる、と咲は思う。

共有の居間では口を開けて寝ている人達が居て、大声で誰かを呼んでいる人が居る。
天井では糸で繋がれた色とりどりのはねふうせん達がお喋りするように揺れていた。

(1,199文字)


#秋ピリカ応募

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コノエミズ
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