#221 怒ってもいい。いや、むしろ怒らなきゃいけない時には怒ることにします!
お久しぶりのコノエミズです。
今日は、過去に書き留めていた自分のノート(紙に書いたモーニングノートとかそういうやつです)を開いて自分でぐっと来たので、noteにも書き残そうと思います。ちょっと病んでいたというか、傷ついていた時でもあります。
もしかしたら、誰かにすごく嫌なことをされたとか、自分のことがちょっと嫌になってる人に届いたらいいな‥‥という気持ちです。
"「自己中」と「自分大好き」は似てるようで全然違う。
今の自分を好きになれていないから他人に評価を求めようとする。
人生は誰から好かれるじゃなくて、自分がどれだけ自分を好きでいられるかだ。"
ふんふん、わかりますね~。自己中心なひとを忌み嫌うあまり、わがままに映ることを避ける。
そんな人に伝えたい。自分を尊重することはわがままなことじゃないってこと。
"世の中には自分のことしか考えられず、平気で他人を傷つける人がいる。優しい人から順番に傷ついて、順番に病んでいく。
自分を大好きでいることは自分を守ること。
自分を守るために自分を好きでいればいい。
私は、その人といると自分を大好きでいられる人との関係性だけを大切にしていく。"
そうか、私こんなこと必死で書きなぐってたなぁと‥‥
私は傷ついていたし、「悲しい」と思っていたのです。私という人間が『あんなことをしてもいい対象』だったことで傷ついたのです。
でも今は違う。私にたいして『あんなことができた』相手を正当に怒ってよかったのです。
「傷ついた」というのは、傷つける側に主体があるような感情ですよね。既に対等ではない。
怒りの感情にはすごく負のイメージがありました。だからこそどうしても手放したかったし、怒る自分は嫌だった。だから「傷ついた」で収めておけば、少なくとも自分が優しい人だからとどこかでけりがつけられたのです。
だけどそれ、全然自分に対する敬意が足りなかった。
こんなことに自分で気づけたんじゃないんですよ。
桜林直子さん(サクちゃん)とジェーンスーさんのこの番組を聴いたから。
最初の6分間くらいのところ、本当に教えられました。ずっとずっと『怒りを手放す』ために私がどれだけ祈ったり瞑想したりして来たかなぁ‥‥(遠くを見つめる目)
なあんだ、自分を大事にしてやればよかったな、とちょっと嗚咽のような笑いのようなものがこみ上げてきたのです。
「私はマジ怒ってるよ」という感情。
できることならこれからは相手に伝えていきたいと思います。
私はこれまで「いかにして赦すか」を信条にしてきたようなところがあって、自分の中で(傷心が消えないまま)完結させようとしていた。
だけどそれだと、相手より自分を下に置いたままでその人との関係性の中ではいつまでも「触れられない」タブーとして残ってきた。
すっごくすっごく嫌な、自分の癖みたいになっていたのだと思います。これからは対等に怒って、「私は怒ってるけどあなたはどう?」とちゃんとけりをつけていきたい。(できるかな‥‥ いや弱気になるなよ!私)
2024年は私、還暦を迎えます。つまり辰年の私は年女でもあります。
龍なら龍らしく、華麗に上っていきたいものです。傷ついただけでは退散しない『気高さ』を持ってもいいんですよ‥‥ 龍だから、ね。
12月は新たにポップアップショップというものに挑戦しました。そのために週に2回欠かさずに行っている卓球クラブをまる一か月休むというほど多忙な時を過ごし、一度も noteを書かずじまい。
今年からは新たな気持ちで、と思っていた矢先に能登半島でたいへんな災害がありました。故郷の県で起きたこと、そして多くの人にとって試練が始まったばかりだということもあります。
新年のご挨拶でもなく、最近作ったもののことでもなく、書こうと思ってもなにから書こうかわからなくなっていたところでした。
とりあえず今年一本目となります。言葉にしようとしてしきれないのですが、後になって「あの時の意気込みはどうした⁉」と自分にツッコミを入れるためにも、書き記しておきます。
みんフォトからみこちゃんの画像をお借りしました。
みこちゃんに、ありがとうが届きますように‥‥