#79 笑い方も忘れたときは、思い出すまでそばにいるよ♪
昭和の名曲にばんばひろふみさんの ”Sachiko” という歌がある。
なぜだかわからないが、歌詞のこの部分を今日ふと思い出した。
サチコの名前ははおそらく幸せの子と書く。
だからこそ、"幸せを数えたら片手にさえあまり、不幸せを数えたら両手でも足りない"このサチコさんの名前がせつないのだ。
さちこ~さちこ~と連呼しながらも演歌のように唄い込まず、メロディーはとても淡々としたものだ。これを聴いていたのは思春期の私だった。
この昭和の時代の歌詞が、結婚して子育ても終わった50代の私に響くのだ。
笑い方も忘れたとき・・・これがどんな時のことか、あの頃よりはもっとわかる自分になった。
そして、笑い方を思い出すまでそばにいることがいかにすごいことなのかも・・・
赤ちゃんは初めにさあ笑おうと決めて練習するわけではないだろう。
なにかが面白いから笑うのだ。楽しい気分だから笑うのだ。
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笑顔のチカラで思い出すことがある。
私が20代半ばで日本の社会から飛び出して、一年間イギリスに語学留学した時のことだ。
国の名は憶えていないが、30代くらいのアフリカ人から、「君のためなら国の妻も子どもも捨てられる。僕と一緒になってくれないか」と告白されてポカンとしたことがある。私には、その国費留学していた男性とその日一緒に授業を受けたという記憶しかないのに、だ。
また、日本からの友人とベルギーを旅行中、会話した若い中国系のベルギー人がいた。4人のグループでそのままランチも一緒に食べた。記憶は曖昧だが翌日その街を出る際に見送りに来てくれたかもしれない・・・ その彼が私のイギリスの住所に箱入りの薔薇の花と一緒に「ベルギーで待っている、僕と暮らそう」というメッセージを送ってきた。
もし仮に私が絶世の美女だった‥‥としてもだ、恋に落ちるときには、何か決め手になる出来事があるんじゃないかと思う。
たった数時間しか出会っていない相手に私が何をした?? 私もあなたが好きだなんてサインは間違っても送ったつもりはない。きっと、ただその人に向けた笑顔だっただけだ。
モテ期なんて言葉を後になって知ったが、モテたという認識よりも、彼らのあの自信はなんだったかと不思議でしかない。
笑顔というものは、相手にとってはさもそれが自分のための笑顔だという自信を与えてしまう罪作りな魔力なのかな‥‥ なんだか『迎合』したようで気が滅入るではないか‥‥
ともかくも男性は女性が笑うと自信を持つものなのかもしれないし、女性にとっても然りかと思う。
だから逆に相手が笑えなくなってしまったら、一緒にいる方は自分の不甲斐なさと感じ、自信を失うこともあるかもしれない。
本当は、そうじゃないのだ。相手が笑っていることが自分の責任だと感じるべきではないと私は思う。
「自分の機嫌は自分に責任がある」私はそう思っている。 と同時に、鬱状態の人にこれを言ってもどうすることもできないのもわかる。
*
2年前の私にも仕事を辞めるに至るまでの数か月間があった。メンタルが弱っていて笑う気分などではなかった。ただ悔しいことに、笑い方を忘れることはなかったので、職場ではヘラヘラと作り笑いをしていた。思い出すと虫唾が走る。
ただそんな作り笑いの後で、家に帰って心から笑える自分など一ミリも残っていない。
夫はそんな私の病んだ時期にも変わらずそばにいてくれた。
夫婦だから当たり前といえるだろうか‥‥
健やかなる時に愛すのは簡単だ。 病める時にも愛せるかどうか、そこに夫婦の真価が問われるのだろう。
笑うことを忘れたパートナーとともにいるのは容易いことではない。だから、冒頭の歌詞の(君が笑い方を)思い出すまでそばにいるよの重みを感じないわけにはいかない。
それだって数か月かかるかもしれない。あるいは何年も何十年も笑い方を忘れるときがくるかもしれないのだ。
この時に、パートナーの笑顔が消えたのは自分の責任だと言って自責しているわけにはいかないのだ。
本当はその時こそ、一人の人間の危機に別の人間が寄り添うことの意味があろう。
「がんばれ」なんて一言も言わなかった夫。
私はイギリスに住んでいながら、社会に出て働くのはもう嫌だというめちゃくちゃなことを言っている。
「嫌なことはしなくていい」と言う夫。
今は嫌なとこへは出ていかず、愛する家族とともに笑っているのが私だ。誇れることなんてなにもない。
当たり前じゃないのに、夫婦だから当たり前に受容してくれていることはとても尊い。
思春期の私に、とてもロマンチックに映った歌詞は、本当はモヤモヤでグデグデで、それでも寄り添うよ‥‥という覚悟の愛だったと
やっと気づいたという話。