#139 「わたしの娘」と呼んでくれたジュリアン 世界ダウン症の日③
ジュリアンは60歳くらいの男性。
基本、施設ではガーデニングをして過ごした。
もっそりと。
寡黙に。
私たちのアートルームには週に一回参加していたが、律儀な彼は、自分の日以外ではアートルームに足を踏み入れようとはしなかった。
昨日紹介したアンドレアとは大違いなところが笑える。
「ダウン症の人って○○なとこあるよね~」なんて言ってる人が居たら、あのふたりを並べて目の前に差し出したいくらいだ。
ジュリアンは大人の娘のひとりも居ておかしくない年齢ではあったが、ずっと独身だ。
そのジュリアンが、私の手を取って慈愛に満ちたまなざし。そして「あんたはわたしの娘のようだ」と言ってくれるのだ。
理屈はよくわからないのだけれど‥‥
まるでいやらしいおっさんの常とう手段みたいでもあるが、ジュリアンからは誠実さしか伝わってこない。
ジュリアンは、ドアが開いていても入り口からは来ずに、ガラスの非常口の外に毎朝一回立っていた。
スタッフが気づいて「ほらジュリアンが‥‥」と言うと、いそいそと私が出て行く。
殿方が毎日自分に会いに通ってくれているのだ、悪い気がするわけがない‥‥
あまりに「わたしの娘」と感激する彼の前で、
「いや、年齢にチイと無理があるんだけど」とは言えないではないか(笑)
イギリスでは親しさの表現としてハグはあたりまえだが、ここは職場である。
スタッフとしての規律があるのでハグはしなかったが、利用者さんの手を握ることにしていた。
あの頃の私は毎日自己肯定感爆上がりを更新していた。
ジュリアンが毎朝会いに来てくれて、手を取り合って朝の挨拶をしていたのだもの‥‥
何の不思議もないことだった。
ジュリアンのアートは、ただひたすらに文字からのデザイン。
このスタイル一択だ。
文字のように見えるけれど、ジュリアンはページの文字をひとつひとつ凝視しながら、丁寧に模写しているのだ。
「読んで」いるのでも「書いて」いるのでもない。
描かれていく線のなんとエレガントで美しいことか。
一度、ジュリアンの絵をコピー機で複写してラッピングペーパーにしたことがある。小さな箱を包んだら、ため息が出るほどおしゃれだった。
生地にプリントしてシャツを作ったら、
部屋の四方のうち一面をこの壁紙にしたら、
どんなにかカッコいいことだろう‥‥
ミラノやパリのコレクションで、この柄のドレスを着て闊歩するモデルたちを何度想像したかわからない。
一度だけジュリアンの隣りで時々色ペンを差し出していたら、こんなカラフルなものを仕上げてくれた。
色つきはそれっきりだったけれど‥‥(笑)
人は誰しも無限大の可能性を持っていると思う。
読み書きをしない人がデザイナーになる可能性だってあるはずだ。
普通の人ができることができないのが障害者って、意味不明すぎる‥‥
ジュリアンは得意気に描いていたわけでもないし、人から褒められようと思って描いていたのでもない。
自分ができることを、真摯に続けた。それだけだ。
ジュリアンが誰かに向かって話すのを見たことがない。私と言葉を交わしてくれたことが今となっては不思議でたまらない。
ジュリアンは残念ながらもう地上にはいない。
きっと神様から「ごくろうだったね」と大満足な笑顔で迎えられたことだろう。
だから悲しくはない。めちゃくちゃ恋しいけれど‥‥
誠実に生きるということ。
穏やかさや静けさという包容力。
私にとって忘れられない人だけれど、ジュリアンにとっての『わたし』という存在を自覚していなかったかもしれない‥‥
年月を経て心が打たれることがある。
ジュリアンは私をほんとうに大切にしてくれたんだ。
鼻の奥がツーンと熱い‥‥
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