#215 見送って、ホッとして、がっくりして
「は~あ、行っちゃった‥‥」
この一言を何度つぶやいただろう‥‥
でも今回は、その前に「とうとう」の言葉がつく、見送りの季節となった。
巣立ちシーズンというと日本では桜。そして草花の芽吹く季節だが、イギリスでは、最高だった夏とのお別れの季節でもある。
18歳で日本へ旅立ち、酪農や農業、ゲストハウスの仕事をした次男も、帰宅して働いていたが、二年遅れで九月から大学生になった。今月彼は21歳になる。
最後の子ども(末っ子)の巣立ちではあったが、学生というよりは、一度社会に出た若者が学び直す感覚なので、すべてが頼もしく、寮に送って行っても泣かなかった。
この夏は、イギリス国内で自活していた長男が、荷物を畳んで家に戻って来ていた。
そんな夏の終わりに、9,600㎞ 離れた国へ旅立っていった。これからの人生の伴侶のもとへ‥‥
ふたりの息子たちが家に居た、その存在感は大きかった。彼らが同じ月に飛び立っていってしまったことが、私たちの寂しさに拍車をかけている。
これまでにも家族のエッセイの中で、見送る寂しさをその時々で綴ってきました。
けれど、また「家に帰ってくる」ような気がしていた。
もちろんこれからも訪ねてくれるだろう、親の家だもの。
そうは言っても、決定的に違うこともある。
私が18で家を離れてからは、もう両親と暮らすことがなかったように‥‥
娘も18で遠くの街に進学し、卒業と同時にフランス。ついに私たちと暮らすことがなかったように‥‥
息子たちもようやく、決めた方角に『歩み出した』感があるのだ。親としては、これが感謝でなくてなんだろう。
うんうん‥‥
本当のことです。でもちょっと『きれいごと』を言ってる気もする。
彼らが出発するまではいつも気が気ではない。私と同じで、直前まで動けない奴らばかりだから。ギリギリ、家を出て行く数時間前のアドレナリンの発動を待たなきゃいけないのか‥‥
いつも「ほんまに行けるんかい」という現実的心配のおかげ?で感傷に浸っているわけにもいかなくなる。ある意味、必要なのかもしれない。こっちはホンマしんどいけれど‥‥
見送りはいつも、肩の荷が下りて「ホッ」とし。
数時間前までグッッッチャグチャしか見ていなかった部屋が、魔法のように空になっているのを見て泣く。
キューブラー・ロスの『喪失』を受容するまでの5段階と一緒にするのも失礼かもしれないが、
コンニャロ~、ホッ、がっくり、ドヨ~ン‥‥ 様々な感情とともに忙しくしております。
noteには下書きのまま。詰まってて次の投稿ができていませんでした。でもnote書けてないと、全然通知が来なくなって寂しすぎるのです。『転』も『結』もないこんなものを、ここに置いていきます。
淋しいので通知が届きますように‥‥(笑)