#138 私の誕生日を一度も忘れなかったアンドレア 世界ダウン症の日②
アンドレアは私と同い年だ。
髪はブラウンでサラサラのおかっぱ頭。肌がきれいな色白で、眼鏡が鼻の上でちょこんと停っていた。
私の働くデイケア施設の利用者さんのなかで、生まれた月日を言える人はいても西暦何年かまでを言える人はアンドレアくらいのものだったのではないだろうか。
「歳、同じ!」とわかってから、私たちはいかにも同士という感覚を持った。
ダウン症候群を持つ人は、一見とても無邪気に見えるが、それはひとえに彼らの『自己肯定感の高さ』によるものだと思う。
「自分なんて何もできないし‥‥」といういじけたダウン症の人には会ったことがない。
そのせいか彼らには『邪』なところがなく、実にすがすがしい。
アンドレアもそのひとりなのだけど、なんでも言われるがままにというわけにはいかない。
自分の意思に忠実な彼女は、決められたグループでのセッションにも行きたくなければ出ない。
アンドレアは来所の日の半日は私たちのアートルームで過ごしていたが、人から何かを言われるまで待つタイプの女性ではなかった。
私はといえば、その場所でなにかを「教える」ためにいたのではない。
「一緒にいる」ことで、
同じテーブルを囲んで、モノを作ることで、彼らと楽しみを分かち合っていた。
人生に Creativity (クリエイティビティ) はものすごく大切な要素だと思っている。
アートの先生や私がテーブルに本とか材料、きっかけになるものを、さりげなく置いておく。そこに説明はなくても大概の人たちはそこからインスパイアされて創作を始めていく。
そのなかにあって、アンドレアは一切彼女の創作路線を変えなかった。
冒頭の絵がそれだ。
ボランティアの頃から始まって、私がそこで働いた期間、ずっとアンドレアの描くものはこれ一択だった。
私は彼らの描く絵の価値にいつもしびれていた。私には到底真似のできない世界がそこにはある。
ひとつひとつが作品なのだから尊重されるべきだと感じ、私から「それちょうだい」と言えなかった。
それでも、彼らが描き終えた後、"You can have it."(これあげる) なんて言って手渡してくれた時には、嬉しくて皺にならないよう大切に持ち帰ってファイルに仕舞っていた。
アンドレアが私にくれた絵だけでもこんなに貯まっていた。
時に彼女と私のふたりを絵の中に書いて、名前までいれてくれてあるのを見ると幸せな気持ちになる。
これらの絵の裏に、
そう書かれたものが混ざっている。
まるで一語一句同じに見える文字だが、私はそれらがすべて、別々の年にアンドレアから渡されたものだと知っている。
三枚あるということは私があの施設でアートのアシスタントとして働いた間に、誕生日が三回巡っていたことがわかる。
利用者のみなさんから誕生日カードを貰えるのはとても嬉しい。彼らはその日アートルームに来て私の誕生日であることを知り、その場で私のために何かを描いて渡してくれるのだ。
ところがアンドレアだけは、その部屋に来る時にすでに "Happy Birthday, Mizuka." と記入済みの絵を手にしているのだ。
どうも『マジシャンがまだ誰も知らない情報を既に予知していたかのような切り札を出す』あれを見ているような気持ちになる。
私のなかで『観衆がどよめく』
"How did you know!?" (なんでわかったの?) と訊いても、フンと鼻をならし、当然という顔をしている。
男前な感じにしびれる。
種明かしはこうだ。
実は彼女は一度聞いた誕生日は記憶できるのだ。
トリックでもなんでもない、そのま・ん・ま
私たち凡人にない特殊能力を持っただけ。
半信半疑でその場にいた十人くらいのひとりひとりの誕生日をアンドレアに訊いていったら、みんなの誕生日をスラスラと教えてくれた。
さも当たり前のことのように、
迷いもなく
めちゃくちゃカッコイイ。
「人は生きているだけで価値がある」とわかっているのに、自分に対してダメ出しばかり‥‥って何様?
時にそう思います。
私は、神様はダウン症の人たちをとっても喜ばれていると思うのです。
だって彼らは「私はこれが上手だ」とかできることにしか目を向けていないから。
特別な大切な存在として神様につくっていただいたのに、その私たちが自分のことを卑下してばかりってどうなんだろう‥‥
私たちはたくさん分かった気になっているけれど、
ダウン症の彼らのほうが真理に近いのかもしれない‥‥
最後にアンドレアが描いてくれた絵をもう一枚。
"You and me" なんて書いてある。
惚れてまうやろ‥‥
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