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#106 イギリスのクリスマス ~プレゼントについて考える~


今年も友人シルビアのプレゼントラッピングのお手伝いをしてきました。

シルビアとはかれこれ22年のお付き合い。
パーキンソン病により不随意の動きを繰り返す彼女の代わりに、山のようなクリスマスプレゼントをラッピングするのが、私の毎年の恒例になっています。


日本人としては普通なのに‥‥なんでも私はイギリスでは手先の器用な人らしい‥‥
そんな私が「よかったらプレゼント包むの手伝うよ」と一度口にしたことから、お呼びがかって5~6年になるだろうか。

シルビアから何も言ってこない12月は心配になって、こちらから "Don't forget about Santa's little helper!" (サンタの小さな助っ人すけっとのことを忘れないでよ) 的なメールを入れる。
すかさず返事が来てホッとする私がいる。

症状の進行のため、毎年徐々にシルビアの話す言葉が聞き取りにくくなってきて、食事しながら椅子から落ちるんじゃないか、とこちらはハラハラすることも。
それでも、どうやってあれだけのものを調達するのか、一面に広げられたプレゼントを見ると、シルビアサンタ健在!と感謝が湧きあがります。

結構私は楽しそうに包んでいるらしく、それが頼みやすい理由なのかもしれません。

シルビアはいったい何十人のプレゼントを用意するのだろう‥‥、と見せてもらったリストの中にはおびただしい数の名前がならんでいます。


イギリスの12月。

いつもなら天気の話をする程度の相手でも、決まって口にする一言が、「Are you ready for Christmas?」 

まだ2週間もある頃に「クリスマスの準備はOK?」ってなに? 何をしていればOKなの?
だってクリスマスディナーの食材なら前日に買えばいいんじゃない‥‥?

最初の数年は「クリスマスの準備」の意味に戸惑った私ですが、どうやらみんなプレゼントリストにチェックを入れながら12月を過ごすのだということがだんだんわかったのです。

親戚・友人へのクリスマスプレゼントを買い揃えてラッピングを済ませるまでは ready for Christmas にはならないんですね。


2021年の一人当たりのクリスマスプレゼントに使う金額は£548だという調査結果が示すように、クリスマスは財布の紐が緩む「与える」シーズンと言えます。(ざっくり£1を150円で計算しても、82,200円)

単純に2,500円から3,000円のものを30人に渡したと考えればこのような数字になります。実際、職場の同僚たちが見せてくれたプレゼントリストにもシルビア同様30人程の名前が並んでいたと思います。


日本では親戚の数だけ子どもたちはお年玉が貰えました。
父が長男だったため、田舎の本家である私の家にはたくさんの親戚が集まりました。家計が苦しい親に比例せず、子どもの私の懐は、お正月明けにはクラスの誰よりもほっかほかに温まっていました。

私が子どもじゃなくて親の立場だったら、あれは大変だっただろう‥‥と胸が痛むくらいです。

つまり、イギリスで長~いプレゼントリストを抱える友人・知人たちも、大人としてあの「お年玉の責任」に似たものを果たしているのでしょう。
しかも「現金なんていう味気ないものはクリスマススピリットに反する」かの如く、ひとりひとりの顔を浮かべて買い物をするわけです。

クリスマスだからその人を想い、プレゼントを選んで贈る。

素敵なことのはずなのに、その数が多い人には負担になっていたり、予算の中で収めようとして「金額」重視で買うので、貰った人が喜べないものもあるでしょう。

いろんな人のプレゼントを買う様子を見て、毎年複雑に思うことがあります。
それは、身に着けるものには人それぞれの趣味の違いがあるということ。

正直に言えば、くださる方のことは大好きだけど、その人の選ぶマフラーやバッグ、アクセサリーはどうも好みではないという時、罪悪感だけが残ってしまう。

プレゼントが「毎年のことだから‥‥」と義務的になってくると、実際には『自分が貰って要らなかったものを使い回してくれた』のがわかってしまうものまで出てくるわけです。


イギリスの職場などでよくやるのが、「シークレットサンタ」と呼ばれるスタイルです。
これは、事前のくじ引きで自分がプレゼントを贈る相手が決まっているもの。職場の人全員と小さなプレゼントを贈り合う代わりに、皆で決めた金額内で一人分のプレゼントを用意すればいいのです。
楽しい職場ならこれを開ける時は盛り上がります。(逆もあります、きっと)(笑)

私が参加したパーティーでは、シークレットサンタに交換システム付きというのもありました。それは、誰かの開けた中身のものが好きだったら、「チェンジ」と言って自分のものを差し出し、相手が合意したら交換できるシステムです。わらしべ長者ではないですが、何度も替えて最後に何が手元に残るかというのも楽しいです。

とはいえ、一番失敗のないのは食べるものやワインという消費してなくなるものかなあ、と思いました。

それを痛感するのは毎年クリスマスの後にチャリティーショップに寄付される不要なプレゼントを目にする時かもしれません。


私たちは、「プレゼントを贈る」ミッションを全うするのが目的になっていないだろうか‥‥ 「この人にはもうこれしかありえない」と思って贈っているか?振り返る必要があると思います。

クリスマスにプレゼントを贈る意味として、
世の経済が回ることも必要だけれど、そろそろクリスマスにを贈り合うのはやめませんか?と提唱するお金のエキスパートもいます。
物を買う代わりにチャリティーへ寄付するのもよほど素敵なアイディアですね。

幸いなことに我が家ではミニマリストの義妹が早々とクリスマスプレゼントを贈り合うのは止めようと言ってくれ、クリスマスに物の交換は無しです。その代わり、ともに時間を過ごすことに重きを置いています。
年に一度、誕生プレゼントは贈り合うほど仲は良いので、それで十分です。


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クリスマスの朝。

小さな子どもたちがサンタさんを信じ、届けられたプレゼントを開ける喜びを大人が共有させてもらうことが「クリスマスのしあわせの軸」なのだと知りました。
それは誰しもがかつてサンタクロースがいると信じていたころのワクワク感を思い出させてもらえるからなのかもしれません。

子どもがプレゼントを開ける表情って本当に尊いと思います。

イギリスではオペレーションクリスマスチャイルド・サマリタンズパースという活動が有名で、子どもたちの学校や教会では多くの家庭がこぞって参加しました。

https://www.samaritanspurse.org/what-we-do/operation-christmas-child/

これは、靴を買った時の箱を包装紙で飾りつけ、中にプレゼントを一杯詰めて、チャリティーの事務局に送れば、途上国の、必要な子どもたちのいる場所に届けられるというもの。その際に、受け取る子の性別と年齢層を選んで〇をつけるのです。
この時ですが、
やみくもに箱を一杯にするのではなく、子どもたちと受け取る相手の気持ちになって「これを入れても、あれがなければ使えないね」とか「説明書を読めないで意味がわからないものだと困るだろうね」とか、相手の立場に沿った贈り物を選ぶ。そのことを子どもたちと一緒に考える機会にもなるように思いました。


クリスマスの準備となると、みんなが闘う戦士のようになるイギリスに住んで22年。
12月を平常心で過ごすのは私がとても小さなファミリーに嫁いできたおかげなのかもしれません。

次回の投稿ではそのことに触れています。そして ready for Christmas について掘り下げてみました。





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