【小説】奔波の先に ~聞多と俊輔~#46
10 四境戦争(2)
大村の前を下がり、家に帰った。ランプに油を入れ火をつける。行燈よりも明るく照らす光に、西洋文明を見ていたのかもしれない。
ささやかな夢だった海軍興隆の志が、公儀と戦をするところまで来てしまった。ここで負けるわけにはいかないのだ。やり遂げなくてはこの国は変えられない。
次の日俊輔と話をした。
「大村さんに負けた。わしは石州口の参謀としてこの度の戦に挑む。俊輔はどうする」
「どうするも何も、言われた通りやるだけじゃ」
「芸州口の様子を見ていてくれないだろうか。大村さんに言わせれば、石州口の決着がついた後でも芸州口には間に合うというのだ」
「芸州との茶番やって見せろか」
「芸州とはこれからもうまくやっていかないといかんのじゃ。お隣さんは大事にせんとな」
戦は周防大島から始まった。周防大島には兵をさけないとして、防御線は敷いていなかった。公儀の軍艦が砲撃を行い、上陸を試み制圧されてしまった。征討軍のやりたい放題ぶりが山口に伝わると、このまま見殺しにできるのかと作戦の変更を求められた。
そこで、小倉口の兵を差し向けることとした。ここで、海軍を動かし公儀の軍艦にゲリラ戦を仕掛けたのが高杉晋作だった。オテント丸にはアームストロング砲が積まれている。機動力とこの大砲の力は大きかった。この動きで公儀の軍艦は自由に動くことができなくなってしまった。幕軍の上陸兵に対し、海上からの支援を切れさせることに成功した。
長州の反撃は上陸した第二奇兵隊と洪武隊に引き継がれた。山地に入り込み部隊を林や高台に散開させ、ミニエー銃の射程距離の長いことを生かし、相手よりも早く狙撃し詰めていくことができた。この反撃の開始により、農民も立ち上がり抵抗を始めた。住民も総出で抵抗をする形になり、その結果幕府軍を海岸まで追い詰め、船に追い出す結果となった。
緒戦は長州の勝利で始まった。
芸州口も当初はミニエー銃の効果で、初戦は勝利を収めていた。
しかし、こちらにミニエー銃を持った紀州の近代化部隊が配置されたことで、長州の優位性も消えてしまい苦戦を強いられることになる。大野村の攻防は一進一退となり、いくつかの戦闘の結果膠着状態となる。
聞多が参謀を務める部隊の属する石州口方面の目標は、浜田の武力制圧だった。長州と接する津和野藩は力の差を最初から認めて、無抵抗で長州軍の通過をさせることにしたので無事に抜けることが出来た。
そして、まず浜田藩境の石見益田に攻め込んだ。こちらの全軍の指揮は大村益次郎が取っていた。特徴的だったのは、狙撃兵の長距離からの正確な射撃だった。陣羽織の目立つ服装は格好の標的になっていた。
聞多も益田に到着すると、与えらえた役目は公儀の軍目付長谷川久三郎を津和野藩から引き渡しを受け、人質となっている宍戸備後助と楫取素彦について交渉の材料とするため山口へ送るということだった。
「やぁ、杉じゃないか。こちらの参謀じゃったか」
顔を知った人物がいたので、聞多は少し気が楽になった。
「面倒なこと引き受けてもらったようじゃの」
「どうせわしの屁理屈ならと思うたのか」
「それもあるかの。よろしく頼む」
「分かった。よーし杉に貸しをつくった。ずっと借りを作っていたからの。あいことはいかんが」
「気にすることはない。ようやってくれよ」
「任された」
久しぶりに笑った気がする。笑いながら杉は立ち去っていった。
津和野藩の羽田を交渉相手として呼びつけ、交戦の意志を持つのか等威嚇含めて議論をした。引き渡しまで持っていくことに成功した。
また、益田も長州の支配下になると、次には浜田城を攻めて、落城させた。聞多は石州口の戦線が突出することに問題があるとして、芸州側から、石州側の後方の守備が、必要と考えた。聞多は大村にも意見上申し、賛同を得た上で、山口の藩政庁に行き正式に同意をさせた。
また配置換えも願い希望通り、芸州口の亀尾川口の参謀として出ることになった。
そこで、木戸と相談し、芸州も同盟に参加できないか当たることにしたが、まだ時期尚早と判断され、そこまですすめることは出来なかった。
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