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かつて怖かった者に、今は私が成っている
私は、40歳を過ぎてから結婚した。
自然妊娠の妨げになっているであろう巨大な子宮筋腫を摘出後、体外受精を開始。
有り難いことに体外受精を始めて1年半後に
7回目の採卵を経て着床。
45歳で出産予定である。
妊娠する少し前までは20年ちょっと、基本フルタイムの仕事をずっとして居た。
転職も経験しており、世代、性別問わず様々なタイプの人達と仕事をした。
色んな上司、同僚、同期、後輩、部下が居た。
今日は、その中で感じてた、あることの話。
交わらない、何か
晩婚かつ超高齢出産(予定)の私なので、自分が20代、30代の頃、感覚として「主婦」が分からなかった。
20代前半で子どもを産んだ友人知人、同僚、先輩はもちろん周りに居たけど
そこまで数は多くなかったし、主婦になった友人達から生活感などあまり感じなかった。
結婚式、新婚旅行の延長線上にキラキラした出産育児があり、しんどいながらも体力があるから気合いでやって行けてるように見えた。
30代半ばになると、職場に居る同世代の男女半数以上は結婚していた。
正直その頃も、同世代の既婚子持ちの女性達から生活感を感じることというのは無かった。
しかしその頃から、仕事でやり取りがある
自分より上の世代の女性達に対して
「何だろう、この感じ•••。」
と思うことがあった。
恐らく、当時40後半から50代半ばくらい
だった彼女達。
みなさん主婦だった。
立場的には私の上司ではなく、当時の仕事をサポートしてくれるアルバイトさんだったり、単発で事業を一緒に行う、フリーランスと名乗る人達だった。
「何だろうなぁ。自分が会社の中で教わったセオリーと違うルールで動いてる感じが
するなぁ。
自分と違う方向を見て仕事をしてる気がするなぁ。
不思議な迫力があるなぁ。」
なんかこんな風に思い、少し距離を取りながら付き合って居た。
今、自分が妊娠し、母になろうとしているから解る。
当時私が感じて居た「何か不思議な迫力」は、彼女達の母としての強さだったのだ。
私が社会に出てから会社組織教わって来た
のは男社会のルール。
私は嫌いでは無かった。
非常に勉強になったし、学べて良かった。
自分が生きる上では必要不可欠なものだった。
けれど、当時私が接した40代50代の
年上女性達には、母として一歩も退けない
ルールが、事情が、それぞれにあったのだと思う。
当時の私は自分のためだけに働けた。
しかし、当時の彼女達は、自分より子どものために生きて居た(働いて居た)のだと思う。
当時交れないように私が勝手に感じていたのは、私には自分より優先すべき存在が無かったからなんだと思う。
当時周りに居た同世代の既婚、子持ちの女性達は皆、自分と同じ正社員だった。
彼女達には自身の若さもあったが、まだ
親の介護が深刻な訳でもなく、夫達も
まだまだ重責を担うポストについてる訳でも無かった。
夫が同年代であればリストラの心配は
そこまで無かっただろうし、住宅ローンも
まだまだ始まったばかり。
更年期症状なども全く無かっただろう。
当時私が見ていた年上女性達は
母親として
妻として
誰かの娘として
女として
ひとりの人間として
きっと色んなことを抱えて踏ん張って居たのだと思う。
私はそこに一種の気迫を感じて、交わり切れなかった。
いま、ここ
けど、今は彼女達のことが分かる。
そして私はこれから、当時見ていた
あの年上女性達みたいに成るんだ。
もう、成ってる。きっと。
それは、自分にとって喜ばしい変化だ。
私が40歳になる頃、仲が良かった年下の
同僚が第1子を出産。
育児休暇を終えて職場復帰をした時、パソコンに向かいながら私にこう教えてくれた。
「ミズイロさん、私、今まで何度も何度も
仕事で泣いて来ましたけど、母親になった今、なんか、これまでとは違う思いで仕事を
頑張らないといけないと思えて来ました。
仕事する意味が変わりそうです。」
当時、ああ、そうなんだろうな。
私には分からない感覚だけど、親になった
人達はこうなるんだな。と、
以前とは違う顔つきの彼女の横顔を見て腑に落ちたんだけど
自分が妊娠してから、改めてそう思う。
私もこの先、何があってもきっと
コンチクショウ!
で前進するのだ。
きっと、きっと。