自分を変えるということ

「他人を変えるのは困難だ。自分を変えるしかない」という言葉を聞く。なんとなくネガティブな印象が働くのだが、単純に「自分を変える」と言う所だけであれば、ポジティブな話なのかもしれない。

そもそも「自分を変える」のはどういうタイミングだろうか。「今のままじゃいけない。変わらなくちゃ。」「何をどうやって?」「そもそも変わらなければならない理由は?」
…変わらずにそのまま続けることも、時として正である可能性もある。少なくとも、ネガティブな理由をベースに「自分を変える」のは、まぁ長続きはしないよな。「変わりたい」じゃなくて「変わらなくちゃ」って気持ちだったら苦痛が生じる。苦痛をバネにして…なんて言うけど、それで結果が出るのは案外極少数で。

ポジティブな理由であれば前述の通り、「変わりたい」がベース。これは義務とかじゃなくて、本人の強い願望から生まれている。誰かに課せられた課題を基にしているのが「変わらなくちゃ」であったとすれば、自分がやりたいからやっているのが「変わりたい」だ。自分を変えるならば「変わりたい」という気持ちでやった方が長続きする。根本が「良いこと」から始まってるからね。

勿論ネガティブベースの「変わりたい」もあるだろう。でもそれはいつしか自分が自分に課したものとなり、「変わらなくちゃ」に摺り替わっていく。そうなるとだんだん「どうして変わらなくちゃいけないんだっけ?」と目的を見失う。ネガティブ発祥はここがいけない。ポジティブベースは長く意識を保ちやすいという長所があるから、変化を必要とするときは「良いこと」をベースにすることをお勧めする。

ちなみに、私は昨日「変わりたい」と思うことがあった。私は実はめちゃめちゃ掃除が下手。と言うか片づけが苦手。目も当てられない程の汚部屋の住人。…いや、さすがに寝るところはあるよ?でもまぁ…物が取っ散らかっている。なかなか酷い。…上げだしたらキリがない。

しかし、私の好きな人(推し)が「綺麗好き」という事をつい昨日知ったのだ。私にとってはなかなかいい刺激になったのだろう、昨日の夜からちまちまと部屋の掃除を始めたのである。今日も少し早く起きて、部屋の隅を順番に片付け始めた。私自身の精神力の都合もあり、一気にドカンと片付けるという事は出来ないんだけど、それでも今まで随分小汚かったエリアが綺麗になったのである。窓掃除なんかもしちゃったもんね、ふふん。

自分の見た目を幾ら磨こうが、生活やら生き方が伴わなければ、何の意味もなさない。正直見た目だけで生きていける人なんて居ないのだ。大体破滅してる。だからこそ、ここは私が変われる大チャンス!今こそ私は「変わりたい」!

かなり気長な勝負(と言うか「掃除」なので始めた限りは一生もの)になるだろうけど、これを機にいい方向に変われたら、と思っている。いい結果になった暁には、推しへのプレゼント代を奮発しよう。ほら、御礼はしないとだしね!(名目化)

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みずほ@更新停止
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