ため息俳句番外#53 「原爆の図」
「原爆の図」の丸木美術館(埼玉県東松山市)へは、年に数度訪れている。
特別な思いがあるわけではないが、時に足が向く。
自宅から車で4、50分。滑川村の里山の間をくねくねと走って行く。
彼岸花が今、盛りである。
その「原爆の図」が常設で観ることができる。
「原爆の図」の部屋に来て耳澄ます 空茶
何度足を踏みいれても、心は自ずと静粛になる。
画面の中の人々の阿鼻叫喚の様は目を蔽わんばかりであるのだが、展示室の中は深閑としている。ところが、この部屋に何度か訪れているうちに、無音で語る声とでも云うほかないのだが、「声」が聞こえている気がしてくるようになった。
さて、「原爆の図」と云われてもという方には、これをご覧になるとよい。
「原爆の図」が中心の美術館であるが、年間を通じてなんかしら「企画展」が開かれている。
現在の企画展は、「Based on a True Story Ryohei Kan」
まずは展覧会のコンセプトは、ここで。
さて、広島の平和記念館へも、少なくとも四度、いや五度ほど訪れた。この人形は、2017年に完全に一掃されたのだそうだ。確かに平和祈念館がリニューアルされたというニュースは聞いていたが、その様子は知らない。
ということは、自分が足を運んだ時期には、この三体の人物像はジオラマの一部として展示されていたことになる。だが、まったく記憶が無い。だから、今日はじめてプリントされた三体に出会ったのも同然である。被爆し破壊された広島市街を鳥瞰するジオラマの記憶はあるのだが、そもそも人物達のジオラマがあったこと、それ自体が曖昧なっている。
もとよりこれは人形であって、生身のひとでない。原爆が人を破壊するということを観るものに伝達し、戦争を具体的な形として想起させたいという目的で製作された「もの」である。
ところが、菅さんの映し出した「人形」は、息づいている。痛々しいありさまではあるが、確かな存在としてそこにいるのであった。
驚きである。
これまで博物館などではジオラマの中にある人物を観てきた。観てきたが、記憶にない。つまり、それほどにいい加減な見方をしていたのだ。
だが、このヒロシマの人形は、原子爆弾を被爆した人々の真相の一端を伝えていてくれる、精密に造形された手足の皮膚の表現が、焼けだたれ剥がれてゆく痛みを想起させてくるのだった。
本来作り物である「もの」によって、戦争の記憶が伝承されていく、そういうこともありうるのだ。
帰りがけ、森林公園に立ち寄る。
山柿の実が色づいていた。
武蔵丘陵森林公園だけで、たっぷり一日楽しむことができるが、ちょっと道草して丸木美術館へ立ち寄るのも、お勧めである。