ため息俳句 寒禽
先に報告した庭先に出しておく4分の1の林檎の争奪戦が始まってしまった。
日によって違うが、大体8時半過ぎに、卯木の枝に林檎を刺す、「どうぞみんなで、仲良く食べてくださいよ」というつもりでね、こちらとしては。
すると、すぐにはやってこない。
9時を過ぎた頃、ヒヨドリが一羽やってきて、慣れた感じで啄み始める。こころなし幸せそうに見える。きっと、おなじみの奴だと眺めていると、驚いた、突然別の一羽が飛来して、おなじみさんは慌てて餌から飛び立った。 すると、今度は三羽目が滑るようにやってきた。と、さらにびっくり、次々とヒヨドリが押し寄せてきたのである。タッチ&ゴーという奴だけではない、そばの山茶花に止まってう窺うのも、隣家の屋根から見張るのもいる。それが、次々と飛んできては、先客を追い払い、ひとしきり餌に接近してちゃちゃっと啄む、すると別の奴がやってきて、交代する。そのうちぷいっと群れが消えていた。
ようやく空白の時間がやってきた思うや、一息つく間もなく、ペアめじろがどこからともなく姿を見せる。ペアの食事の始まりだ。いつものように片方は見張り役である。
やはり、めじろは可愛いものだとにんまりしていると、あっという間にヒヨドリが襲い掛かって、めじろは追っぱわられた。
めじろはいかにと見回すと、山茶花の茂みに身を隠して、ヒヨドリをうかがっている。時折、山茶花の蜜を吸っているような仕草をするが、心ここに有らず、餌の林檎に集中していることは明らかであった。
ヒヨドリというの奴は落ち着かないやつで、腰を据えてじっくり食べるような質でない。少し待てば、飛び去るとめじろは知っているのだ。
めじろは、案外度胸があるらしく餌を独占できる間は食べ続けるのだ。見張りも役立っているらしく、邪魔者がやってくるとみると、すばやくさっと山茶花に撤収する。
気になっているのは、どうやら見張り役は決まっているようで、ペアの片方がなかなか食卓から立ち上がらないのだ。自分はめじろの雌雄を判別できないが、つい心情的には自分を見張り役に重ねてしまい、哀れさを感じているのだ。 とはいえ、めじろの至福の時間は、間もなくヒヨドリの奇襲的帰還によって破られる。 こんなことが、繰り返し続くのであるが、やはり体躯的にはヒヨドリはめじろの三倍はあるので、林檎争奪戦ではヒヨドリが圧倒的に優勢だ。それに7,8羽が群れてこられては、めじろは歯が立たないのである。そこをめじろは、体格的劣勢をカバーするべく、知能的に立ち回って生きている、えらいものだ。
その点、ヒヨドリは愚かしい。仲間同士でギャアギャアと威嚇し合って餌を争っている。人でもマッチョ自慢の輩にありがちの傾向である。(いや、これは個人的な意見偏見です。)
そうして、昨日気づいたのであるが、スズメが参入し始めた。ヒヨドリ、めじろの合間をぬって、スズメが餌にとりついていた。以前から食べ残したパンの耳など枝に刺しておくと、スズメが食べていたのであった。
寒禽の力尽くして生き延びよ
蛇足注、寒禽(かんきん)とは、冬に見られる鳥のこと。一年中見られる鳥も、冬場ならそのように呼ばれるそうだ。
生くるには喰わねばならぬ冬深し
生きるということは、辛いものだ。「生きとし生きるものは」という意味である。