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ため息俳句番外#37 浮かれ心
一茶の句である。
何のその花が咲こうと咲くまいと 一茶
まあ、その通りでございますと、一茶さんに同意いたします。
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自分はなにやなにやら分からずに、写真を撮っては撮りっぱなしにしているのだが、ごくごく稀に我ながら「悪くない」という場合があって、この桜の一枚は、その内のひとつだ。
公園の道路際に、ソメイヨシノの古木である。幹本体は切断されて仕舞っている。もう寿命は来ているのだろうが、南へ太い一枝が大きく張り出して咲いていた。そのアンバランスにしぶとく咲く姿がよいのだ。そうして、公園の片隅にそっと咲いているの桜に目をとめる人は、ほとんどいないだろう。在って無きがごとき桜一樹、何者でもないものの楚々とした存在感に惹かれて、一枚。
一茶が言うように、桜が咲こうが咲くまいが日々の営みになんの影響も実はない、一茶のひん曲がったものの見方だなんて言えない。
住む辺りを見廻して、どんな樹木が植えられているかと見れば、おそらく桜は上から数えて早い順にあがってくるだろう。我が家にさえ大島桜に似た桜があるほどだ。つまり、もはや何処にでもあるありふれた樹木であるのだ。
それなのに、なんでこうももてはやさるのか、あきれるほどだ。
とか云っている自分からして、来週の旅の日程は、琵琶湖の周辺の桜を見てみたいという目論見があって、立てたものだ。
まことに、われながら愚かしい。
今夜のニュースで靖国神社のソメイヨシノの開花日なし、一輪咲き足らずとか、報じていた。
だが鬼貫に、こんな一句がある。
去年も咲ことしも咲くや桜の木 鬼貫
そう、幾日開花が遅かろうが、今年も咲くことに間違いないのだからねえ。
鬼貫にもう一句。
さくら咲頃鳥足二本馬四本 鬼貫
桜が咲こうが散ろうが、鳥の足は二本であるし、馬の足は四本、何も変わりはしない。なのに、なんでこう浮かれてしまうのだろう。