ため息俳句 秋白し
「秋白し」とは、季語として認知されているのかどうか知らないが、少数ながら使用例はあるようだ。
ところで、秋の季語として「色なき風」というのがある。この季語も和歌に由来するものだ。
吹き来れば身にもしみける秋風を色なきものと思ひけるかな
という紀友則『古今六帖』の歌に基づいている。この「色なき風」はどう見ても無色透明な風ということだろうが、この「色なき」ということから「白」を連想する人もいるのだという。
その有名どころは(ちょっと違うきもするのだが)、芭蕉が「奥の細道」で、越前の那谷寺に参詣した際に詠んだ句がある。
石山の石より白し秋の風
もともと「秋」を「白」に結びつけるのは中国の五行思想に示されているもので、友則の歌の発想もそれに基づいていると云う人がいる。自分としては、どうかと思うが。
とか、いろいろあるらしいのだが、自分としては秋こそ白がよく似合うという気がしている。秋の色と言えば直ぐに色づく紅葉なんて思い浮かべやすいが、自分としては白がよい。
夏の白は、強い日差しを反射して目に痛い、そこへゆくと秋の白はだいぶ目に優しくはないか。時には一抹の寂しささえも。
そんなわけで、「秋白し」というわけである。たいした理由はない、だだの個人的な好みであります。
たとえば、秋明菊、別名貴船菊、あの清楚な白はいかにも秋らしい。あんなのが、好きだ。