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ため息俳句 天上大風
昨日は、太平洋側に春一番が吹いた。
今朝は、強い北風、時折音を立てて通り過ぎてゆく。
こういう日には、「天上大風」という良寛さんの書を思い出す。
よく目にするものであるから、たいていの人があの書には見覚えがあるだろう。
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そういうことだ。
つい良寛さんであるから、禅にかかわる何事かの意味ある言葉と思っていたのだが、こうして子供にせがまれて紙凧に筆を執ったのだというならば、それでなんとも良寛さんである。
つまり「天上大風」とは、今日のような激しい季節風などではなく、地上はうららかで、それでいて天上には凧揚げにほどよい風が吹いておくれということなのだと。
それでも、やっぱり自分としてはこんな風の吹く日には「天上大風」ということばを連想してしまう。
良寛さんの住んでいた越後は、この頃の大雪でもわかるような厳しい一面を持つ土地である。
良寛さんの出た出雲崎には、長岡駅前からバスで行くことできる。良寛記念館へも、記念館入口で降りるとすぐである。青春18切符を使うと楽々とゆけたので、自分の日本海の思い浮かぶ風景は出雲崎あたりである。
一度として、晴れた日はなくて、寒々としていたのは、自分の日頃の心がけゆえであったろうか。
記念館では、良寛の書の複製をいろいろ販売していた。勿論「天上大風」は人気であろうが、自分は「南無阿弥陀仏」を買ってきた。それは自室の壁に貼ってあって、時折眺めている。
さて、出雲崎は北国街道の宿場町として栄えたところである。廻船問屋街、旅館街が立ち並び、それに伴い遊廓も発展していたとか。
元禄2年(1689)、芭蕉は奥の細道の旅の途次、出雲崎に一泊し「荒海や佐渡によこたふ天河」と詠んだとされている。
また、話がとっちらかってしまった。しかたないので、さらにとっちらかして終えよう。
良寛の書についてなら吉本隆明に「良寛書写 無意識のアンフォルメル」という短い文があって、評論集『良寛』に収録されている。
ここで、吉本は、まず良寛の書の中では、草書が一番好きだという。そうして、「自然のなかに融けこんで消えてしまいたいとほんとはおもっているのに、わずかに痕跡だけでひっそりとしなやかに生命を刻印しているような良寛の字態のたたずまいがいいのだとおもう。その細身は、まるで骨と皮だけに削りおとされているようにおもえるのに、点と不定形の曲線とで渋滞のない流れの速度と、無駄のない配置の均衡をつくっている。この良寛の生命のひそやかな存在感、病弱そうな存在の印象は書字のなかで無声の楽音を発しているようにおもえてくる」というような吉本ならでは表現で語っていて、この文に触れて、自分も良寛に関心を持つようになった。
「天上大風」は、子供の手習いではじめに習うような文字であるが、きちんと楷書で書いてある。こどもでは草書にしたら読めないであろう。「天上大風」は、草書ではないのだが、昔話の通りにこどもに書き与えたとしても、吉本の「無声の楽音」というか、「音のない風の音」が鳴っているような気もするのだった。
それにしても、今も窓の外は北風がふきあれている。
空は雲一つない晴れ。
風が吹く気配もなく、まるで真空の色である。