ため息俳句番外#51 山梨行
ともかくも、暑い秋である。
今朝も畑に出たが、1時間も作業が続かない。汗まみれになって、退却した。とりあえず大根白菜の種をまかねばならない。玉ねぎもポットに蒔くことも。だが、こう暑くては、気持ちがなえてくる。
一昨日から小さな旅行をした。
石和温泉に一泊して、甲府盆地を車で回った。
石和温泉は、若い頃、研修会で泊ったきりでどんな所であったかなんて、忘れている、その研修会が何であったかも。
ただ、石和の町は深沢七郎の生地であることは知っている。深沢七郎は、自分にとっては大切な人である。それは作品を通じてだけのことだが、看過でなきない影響を受けている。そんなことで、昔、一人で石和を流れる笛吹川を眺めに行ったことがあったが、それだけの事で、今は当時の思いの細かい記憶がない。とにかく、なんでも忘れてしまうのだ。
甲府の県立美術館は、常設展なら65歳以上のシニアは入場料が無料だと、知っていた。自分も妻も入場無料というのは大好きだから、今回は必ず尋ねることにしていた。
ここは、ミレーとバルビゾン派の作品で有名である。
ミレーの作品を妻は熱心に観ていた。
妻の生家の一室に色あせた「晩鐘」の複製が懸かっていたのだそうだ。彼女の父が求めてきたらしい。義父は農家の長男で、昼間は農業をして、夜は遠くの10キロ以上離れた夜学校まで自転車で通いぬき、それから公務員となって田舎では立派に出世した云われた、たたき上げであった。そんなであったからミレーが同じ農民出身であったことと、その農民画の作風などに、自分の体験を重ねて惹かれていたのだろうと、妻はいう。
晩年はわずかに残った田畑を耕していて、亡くなるまで農家の後継ぎという一種の義務感を忘れていなかったように思う。そんなであったので、ミレーの「晩鐘」は義父には心を打つものなのであったように思う。
美術館の向かいに、県立文学館があった。これまで、これほどにりっばな文学館を見たことなかったので、驚いた。勿論、深沢七郎もちょっと二枚目な感じなポートレイトで展示されていた。今年、生誕100年を記念する展示があったはずだ。
一応俳句愛好者としては、飯田蛇笏、飯田龍太父子の展示は、とても興味深かった。
このところ、自分は飯田龍太さんの全集を、図書館から借りだしては、ぽつりぽつりと読んでいる。俳人の書いた文章というのは、なんだか自分には理解できないものが多いのだが、龍太さんのものは、すっとわかる場合が多い。第一に偉そうにしない姿勢が好きなのだ。
その他、方代さんも甲府であった、山崎方代、好きだ。
近日開催の特別展は、「金子兜太展」だという。
ちなみに、ここも常設展ならシニア無料。山梨県は老人にやさしい県であろうか。
この文学館もあるのは、芸術の森公園内である。その園内に野外彫刻が点々とあって、これも楽しいかった。また、美術館に付属するレストランでコーヒーにしたが、小細工がなくて、いい感じであった。プリンもおいしかった。
翌日、孫にブドウを送りたい妻に付き合って、直売所をあちこちと。それとついでに信玄餅の工場に立ち寄ったが、ちょっとびっくりした、有名な詰め放題は、7時30分に整理券配布終了と書いてあった。
最後は、釈迦堂遺跡博物館へ行った。今回の小旅行の目的地である。
ここについては、回を改めて書こうと思う。
行きは、140号線で雁坂トンネルを超えていったが、帰路は中央道から圏央道経由となった。帰りの昼飯を土偶見物で食いっぱぐれたので、談合坂でようやく食べられたのだった。
忘れないうちに、記録する。こんなものは、人様に見せるものでない、恐縮である。