ため息俳句 秩父夜祭見物始末
夜祭や去ぬる白髪は風に暮れ
結論からいうと、秩父夜祭を見物しようと出かけたのは予定通りであった。だが、午後八時には自宅に帰っていたのだった。土産に買ってきた「ちちぶ餅」をお茶うけにひと休み、大河の『どうする家康』を観ていたのであった。つまり、肝心の夜祭である時間帯には、自宅の炬燵で和んでいたのであった。
秩父夜祭へコロナ禍以前はちょくちょく通っていたので、祭りの全貌はそれなりに知っている。初めて行ったのは、半世紀前である。もともとおつむの記憶力が乏しいので、当時の様子はよく覚えていないが、ツワーバスが押しかけて隆盛を極める昨今に較べると、祭りの賑わいはあったものの、メイン通りは薄暗く、路地に目をやると闇がどろりと溜まっていたようであった。たまたま、だんご坂の近くにいて、屋台が坂を登る度に興奮する見物客に押しつぶされそうになったということも覚えている。当時から有名な祭りであったが、見物人もほとんどが地元の人で、秩父の山の谷あいのから出かけてきたというような感じの人が多かった。
昨日は、10時半ごろ、カミさんに秩父鉄道の明戸駅まで送ってもらった。自分が夜祭に行くというので、彼女はその先にあるアウトレットモールができた方向へ買い物のゆく計画をしたのであった。その途中で小さな無人駅の前でおろしてくれた。
小一時間で御花畑駅についた。
なぜ秩父駅の一つ先で下車するのかというと、ここで立蕎麦を食うことが、この祭りの日のルーティンになっているからだ。十二時少し前であったが、先ずは腹ごしらえ。腹が減っていては、楽しく見物はできない。
それから、街中をぶらぶらと歩いた。いざ出発。
夕暮れになり、冷たい風が吹き始めると、もうこんなものでいいだろうと、帰路についたのだ。
帰りは、熊谷駅まで戻り、夕飯を食べて家路についた。
レバニラを秩父夜祭我が〆と
レバニラ炒めは、気まぐれである、なんだか突然食べたくなったのだ。それにしても、せっかく出かけたのに、中途半端に帰ってきたのが、やはり老いの衰えの証だと電車に揺られながら少しくよくよしたのだが、レバニラ炒めでちょっと元気を取り戻した。良いチョイスであった。
冬の韮青くしゃっきり励まさる
何とも妙ちくりんな小さな旅の報告であった、面目ない。
年をとれば、とったなりに旅の形があるはだと、思うことにしよう。
いよいよ、秩父夜祭が過ぎると、本格的に冬となる。