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ため息俳句番外#49 #49につき「四苦」

 リタイヤして10年はとうに過ぎた。その10余年の間に我が隠居生活が少しづつ変化しているというのは自覚している。結論から云えば、情けなくなる一方だということである。
 
 さて今朝であるが、一昨日昨日とすこし畑仕事に根をつめすぎたらしい。床から起き上がるに、体が重く、ぜんぜん疲れが抜けていない。
 昨日は曇り空でやや涼しいのであったが、湿度は高かった。朝2時間ほどの作業で全身汗みづく。それに、野良着は泥だらけになった。帰宅して、まっさきにシャワーを浴び、人心地がついたかというと、我のことながら呆れるほどに疲労しているのがわかる。
 エアコンを全開にして、床に寝転んで、天井を眺めたままでいたが、何も頭に浮かんでこない。床は冷たいのだが心地よいとは感じられない、固いだけで背中が痛い。
 
 こんな疲れの感覚が、この頃時折やってくる。

 先週水曜日、上野のトーハクに「神護寺展」を観に行った。
 もう一つ目的があって、東京都美術館で某新聞社主催のジュニア書道のコンクールの作品展示があったのだが、孫の応募作品も展示されていたのを見に行くというミッションである。
 孫は頑張っていたのだが、上位入賞者に比べるとまだまだ初心者のレベルであるのだが、爺ィとしては学生のころから通い慣れた東京都美術館の壁面に己が孫の作品があったというだけで、わけもなくうれしいのだ。こういう爺ィさんの感覚、これもこの頃少し強度を増している。
  でも、そんな心情をつきつめるまでもない、家族へ愛着は執着である。こちらは、四苦八苦の「八苦」の方だろう。

 久しぶりで、都美術館でカレーライスを食った。それにしても、今から半世紀以上前の都美術館のポークカレーライスは旨かった。今のはビーフで、これも自分的には不満だ、カレーは断然ポークがいいのだ。まあ、精養軒が運営しているのは今も同じだが、大分ちがったなあ。こういう過去を懐かしむ気分も、このごろ酷くなったかな。
 旨いのまずいのなんて、これはこれで、「五欲」の一つ。煩悩まみれの俺だな。

 そうして、トーハクに移動。チケット売場は長い列。八割がたがインバンンドの外国人で、田舎暮らしになじんだ目には、「そういうものかいな、噂通り」と感心するばかりだった。
 「神護寺展」は結構なものであった。書道展からのはしごだから、空海の「風信帖」をちょっとしみじみと眺めた。「薬師如来立像」がお目当ての展覧会であったから、こちらもゆっくりと見せていただいた。
 勝手な先入観であったが、もっと大ぶりな仏さんのように思っていた。しかし、実際に目にすると、じつにすばらしく密度の濃い均整のとれた美しい仏さんであった。
 そんなことで、いつものように本館の常設展を一回りして帰宅したのだが、すっかり疲れていた。60代であったら、せっかく出てきたのだから、神保町あたりへ、秋葉原もどんな風か、日比谷で映画でもとか、思ったものだが、ひたすら早く帰ろうと、上野駅に急ぐのだったが、疲労感で足がが・・・・。
 そういえば神護寺には参拝した記憶がない。その内行きたいものだと帰りの車中でふと思うのであったが、すぐさま今日のように疲れ果てては、旅行もおもうにまかせられなかろうと、情けなくなったのである。

一茶と雀  二代目平田郷陽 1,940年 「人間国宝・平田郷陽の人形―生人形から衣裳人形まで―」国立東京博物館で展示中。

 老いというのは、いかんともしがたい。
 お釈迦様は、「生病老死しょうろうびょうし」を四苦として人の本質だとした。生きるとは、苦から逃れ続けることだと。いや、まったくもって、「南無釈迦如来」と唱えるほかない。

 つまり、日常とは苦から逃れようとあがく日々であるということだ。昔はやすやすとできたことが、今はもう思うがままにはできないどころか、やろうとする気力がそもそも衰退している。今朝だって、昨日の続きの野良仕事があるわけだが、こんな駄文を書き連ねている。残された時間は、もうわずかであるのだが、その時間をどうやり過ごせばよいのやらと、暗澹たる気持ちに襲われるのである。

二代目平田郷陽 作

 ああ、また勢いでいいかげんなことを書いてしまった。
 前文は、話半分としてお読みいただきたい。
 前文にいうほどには、本当は悲観していないのである。
 実を云うと、精神的にはこれほどストレスレスな日々はわが生涯にはなかった。サラリーマン時代は過酷であったし、家庭生活だって波風が立たなかったわけではない。それなのに、今はほぼぼんやりと生きているのだ。糞面倒な古女房の口うるささは今も昔も変わりないが、それとて耐性は鍛えてある。
 
 というわけだが、「四苦」と「八苦」には、がっちりとからめとられているのだ。