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ため息俳句 終戦の日



 七十九年目である。
 自分の父も、兵隊であった。
 輜重輸卒しちょうゆそつという兵卒であった。
 招集後、大陸で身体を病み、一旦傷病兵として帰国できたが、その後二度目の招集もあった。
 がしかし、さすがに二度目は余りの衰弱振りに入営即日に帰郷を命じられたそうだ。
 最下層の兵卒であった父。彼は自分の戦争体験をほとんど語らなかった。というより、彼は戦争が嫌いであった。
 
 いったいどんな任務の兵であったのだろうと、思っていたが、・・・。

 ひとつの手がかりが、佐佐木信綱編『軍歌選抄』(昭和14)にあった。

 「輜重輸卒」
 
 一
 押せども押せども車は行かず
 進まぬ荷馬をいたはりて
 険しき坂路深き谷
 道なき道を進み行く

 二
 梅雨時の沼なす道を
 日影燃え立つ砂原も
 吹雪激しき山かげも
 車押しつつ馬ひきつ

 三
 靴は破れつ草鞋は切れつ
 足は傷つき血は流れ
 雨の夕暮れ風の朝
 十里十二里十三里

 四
 暗きうちより夜更くる迄も
 苦しき勤め続けつつ
 疲れに疲れ疲れても
 安く眠らむひまもなし

 五
 等しく兵と召されし輸卒
 砲のひびきに血は沸けど
 わき目もふらず一筋に
 食料弾薬運び行く

 六
 人にまされる苦しみありて
 はなやかならぬ其の勤
 いくさはやすむ時あれど
 彼等は休む時あらず

 七
 御国の安危係はる戦
 御国の為の一言に
 其の一言に身を献げ
 あらゆる辛苦耐え忍ぶ

 八
 輜重輸卒の苦しみ思へ
 かくれし力思へ人
 かくれし戦思へ人
 涙ある人血のある人
 
 そうか、そうか、同情と美辞麗句を列ねたその最終連で、輜重輸卒という兵の立ち位置が、よく分かるではないか。世間の人々の目がどんなであったか推察できる。
 でも、むしろ、親爺らしい任務であったような気がする。あの人に銃剣を扱う任務は、かえって辛いものになっただろうから。
 

終戦日南瓜は煮えよこっくりと  空茶