ため息俳句 図書館
市内には、町村合併以前から、それぞれの地に図書館があって、合併後も引き続き開館されている。他に、県立図書館がある。
全部で5館になるのだが、そのうちの4館は我が家からほとんど同じ程度の距離にある。利用のほとんどは、子ども頃から通っているもともとからの市立図書館であるが、閲覧室はそう広くない上に、駅に近いせいか利用者が多い、受験勉強という感じの若者も少なくない。そん風で、ちょっと空気感が・・・、自分の肌に合わない。それにコロナもまだまだ怖い。
そこにゆくと、今朝やってきたこの図書館は、市街からは遠いが、書棚も見やすく、広々としてエアコンもよくきいている。快適この上ない。フリーWi-Fiもきびきびと動く。
だいたいノートPCなんかを持って図書館に行くなんてどことなく恥ずかしかった。だが、市のHPを何気なく見ていたら、市内図書館ではWi-Fiが利用できると告知されていたのだった。それならばと、いうことでやってきたのだが、まったくのドンピシャであった。なんとありがたいことか。
図書館と云う公共施設は、自分のようなうまく人づきあいができない者にとっては、かけがえのない空間である。
子どもたちの自死ほど心痛むことはない。それほどつらいのならどうぞ図書館で過ごして心を休めてくださいと、図書館の司書さんがツイートされて、大きな話題になったことがある。
自分は、どちらかといえば多分に学校不適応的な傾向があったので、学校と云う場の居心地の悪さはよくわかるが、それでも何とか生き延びたのだ。そんな経験からこの司書さんのことばを新聞で読んで、爺さんになった今でも身に沁みたのだった。実際、学校の図書室は自分にとって心休まる場所であったからだ。そうして、地域の図書館にも長い休みの間の足しげく通った。一人でいるのが当たり前の空間なんて、図書館以外にはなかったのだ。
この頃の図書館で気が付いたのは、自分と同年代の人々の利用者の多いことである。高齢化社会においても図書館の存在意味はとても大きいのだ。自治体は、もっとお金をかけるべきだし、民間委託一辺倒を止めて、司書さんの増員と専任化を考えてもらいたい。