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ため息俳句 綿を摘む
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畑に植えてあった木綿に綿が吹いた。
綿が吹くというのは聴きなれないことばであるが、歳時記の解説で知ったのだ。
綿を栽培すると、晩秋になって、球形で内部が三室に分かれている実を結ぶ。それがやがて裂け、黒い種子の外側に、白い毛状繊維が現れる。それを摘み取って綿を作るのである。「綿弓」は打綿を作る道具の名。
というのは、「綿取」(晩秋)と云う季語の解説である。この季語の傍題・異名に「綿吹く」とある。実が裂けて、白い毛綿の塊が現れてくるのを、「綿吹く」というのであるようだ。
ともあれ驚いたのだった。綿とは、こういう様子で採集されていたのだとこの年ではじめて実際に手で摘んで知ったのだ。
ここまで書いて、柳田国男の「木綿以前のこと」を思い出した。大急ぎで青空文庫で読んでみると、昔読んだはずなのに全部が目新しく感じた。なんでも、右から左へ忘れているのだ。
冒頭、なんと『七部集』の附合の中に、木綿の風情を句にしたものが三か所あると、始まっている。元禄時代に木綿というものが、人々にどう感じられていたのかいうことだ。
そこから始まって、木綿が我々の生活をいかに変え、どれほど快適にしたかと述べている。木綿を用いなかったとすれば、麻布より他に、肌につけるものがなかったというのだ。野山に働く人々にとっては絹は高価すぎるし、なめらか過ぎて冷たい、そこへゆくと木綿は柔らかく肌ざわりが優れている。もう一つは、染色が容易にできる、どんな色にもよく染まった。
それに、麻よりもはるかに簡単な作業で糸を紡ぐことできるので家々の手機で布をおりだすことができる。
そうして、木綿の素材としてのすばらしさに続けて、柳田はこの木綿が当時の服装を変え、それに伴って美意識もかわったという。木綿のやわらかな衣服が作り出す女たちの輪郭が、いわる撫で肩と柳腰の体型を生み出したというのだ。そうして、それが女性美の典型とされたというわけだ。
さらに、話は続くのだが、興味のある方は青空文庫でお読みください。
というわけで、綿製品からはかり知れないほどに恩恵を現代人も受けているのだということを教えられた。
今の家庭菜園は、かつては桑畑であった。その畑で、こんどは綿を毎年作ってみようと思った。今年収穫できた種で、来年はもう少し多めに栽培してみようと思うのだった。
綿吹くや世界が温もりますように
木綿ほどことばなんぞは役立たず
綿摘みや赤城見ゆるか小さき子