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ため息俳句 小銭
今時、ポケットから小銭をだして、買い物する人なんていませんよと、女房殿に馬鹿にされている。
スマホやらカードやらで支払いをするので、小銭なんて手にすることはないというのが、普通らしい。
自分だって、クレジットカードやらプリペイドカードぐらい持っているし、スマホに決済用のアプリだって入っている。
だが、それらをどうも信用できない。買い物は、現金で支払いたいのだ。
サラリーマンのころ、ある時給料が銀行振り込みになった。それまでは、現金で支給されていた。経理の担当から給料袋で給与明細とともに渡された。
駆け出しのころ、忙しさに紛れて受け取りに行くのを遅れた時があって、普段は温厚な担当の女性に、こっぴどく注意されたことがあった。給料は、何をおいても決められた時間内に取りに来なさい、我々はこの給料を稼ぐために働いていることを忘れてはいけませんと。
結婚してからは、給料袋はそのまま妻に渡した。自分には家庭の経済を切り盛りするなんてまったくできそうもなかったからだが、給料袋にはお金とそれ以外にそのひと月の働いたいろいろな思いも入れて渡したように思うが、それを妻が感じていたかどうか。
それに薄っぺらい給料袋でも、お札の匂いがした。あの匂いは、今だってあるのだろうが、まったく感じなくなった。
そんなこんなで、財布は持ってはいるが、つい小銭をポケットにためこんでしまうのである。
ポケットに溜まってしまった小銭は、大ぶりの空き缶に入れておく。これまではそこそこ貯まると銀行で両替して、その折々に気になっていた所へ募金した。
だが、この頃は小銭を両替するのでさえ郵便局なんぞも手数料をとる、それが案外な高値である。実に世知辛い、よく親に言われたものだ、「一円を笑うものは、一円に泣く」、小銭を粗末に邪魔ものように扱うのはもってのほかなのだ。両替に手数料を取るなんて、金融業の名折れではないかと思うのだが。
とは言え、歩くたびにポケットの小銭が音を立てる、小さな音だが、辺りの人が聞きつけないか、気になる。あるいはコンビニのレジの前で、ポケットから取り出して数えるのも、ちょっと鈍臭く、いかにも老人っぽく見られそうで、不快だ。そこでついついお札を出す、するとまた小銭で釣銭が来て、溜まる。悪循環である・・・・。
確かに、潮時かもしれない、そんな気もする秋である。
ポケットに銭六文の秋の音 空茶
六文あれば、三途の河は渡れるという。今の貨幣に換算するといくらぐらいかわからないが、いつ何時に必要になるか、わからないのだから。