ため息俳句 観覧車は廻る
腰のために、静かに一日を送ろうとしていたのだが、息子が孫を連れて遊びに来た。小学一年生と保育園年中君、男兄弟である。
下の方は爺々とまつわりついてくるので、こちらは腰に来ないかと冷や冷やものであったが、一度二度飛びつかれた瞬間、背筋が軋んだような鋭い痛みを感じたのだが、なんとか事なきを得た。
ぽかぽかの陽気になったので、古女房は浮かれてK遊園地へ行かないとか、孫を誘うのであった。我が家では、この人の提案は命令に他ならないのと息子は十分に知っているので、気が進まなそうな子をなだめすかして、遊園地へと出かけようとしている。
小生は、勿論断固留守番を申し出た、ぎっくり腰の恐怖について力説した、だがとにかく荷物番でよいから一緒に行くのだと、古女房に追随して息子まで言う。
まったく、酷い話だ。
だいたいに「ぎっくり腰」というのは、命に別状なき病であるからか、健常者には理解されない孤独な病であるのだ。「ぎっくり腰」で動けません、寝返りにさえ激痛ですなどと言うと、この一撃を経験していない多数派は、「それはお気の毒に」と口にはするが、言いつつ目は笑っている、大体そうだと小生は気づいている。
爺ちゃんのぎっくり腰よりも、家族の和を乱す方が、大問題だとそやつらは言わんばかり。そうまで云うなら仕方ない、同道してやろう、爺だって男だと、腰をかばいつつ助手席に乗り込んだ。
K遊園地まで小一時間。
遊園地に到着すると、楽しそうに遊んでいましたよ。小生は、ずうっと荷物番をさせられました。
一時間ほど経った頃、下の孫が「観覧車、座ってるだけだから、爺ちゃん一緒に乗ろうよ」と、・・・幼いながらも彼なりの爺への忖度である。だが、そこに間髪入れず古女房が「ダメ、爺ちゃん、高いところ嫌いなの、高いの怖いのよ」と孫に囁くように言うと、さっさと孫の手を引いて、観覧車の方へ向かった。孫はこちらを振りかえって、嗤った。
二人して帰ってくると、年中組の孫がまとわりついて来て、こう言う「爺ちゃん、高いところ何が怖いの教えて」と、ニヤニヤ。
実に、・・・・・・・。
確かに、自分は高所恐怖である。
だから、遊園地は基本的に余り近づきたくない施設なのだ。ここでは激しい上下運動や回転運動に身をゆだねて喜ぶという不条理が娯楽なのだ。あきれるでないか。
それに、第一に今の小生は「ぎっくり腰」の快復途上にある、後期高齢者である、このことを、こやつらは失念している。「ぎっくり腰」の人の孤独、いわんかたなし。
見上げると、観覧車はゆっくりと廻っていた。
我が余生はどのあたりであろうか。