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ため息俳句 スズメのお宿は、どこ

 おばあさんに舌を切られた小雀を哀れに思ったおじいさんは、スズメのお宿を訪ねて行くのだが、我が家の屋根瓦の隙間にも長い間スズメが住み着いていた。
 ところが、昨年の夏頃に気づいたら姿を消していた。何故か気がついたかと、毎朝毎朝その雀たちのさえずる声を目覚めとともに聴いていたのだが、いつのまにか聞こえなくなったのを不審に思ったからだ。
 昔話では、おばあさんに舌を切られた小雀を哀れに思ったおじいさんは、スズメのお宿を訪ねて行ったのだが、我が家の行方不明のスズメの新しい住処はいったいどこなのだろう、探そうにもなんの手立ても無い。

庭の桜の枝にとまっていた。

 

 スズメといえば、清少納言は「いとあはれ」な鳥を列挙する内に、「かしらあかき雀」というのを含めている。どこが気に入っていたのかは何もいっていない。としても、この「かしらあかき雀」は、我が家に住んでいた雀と同じなのかと、ふと思った。
 「枕草子」のある注釈によれば、それはベニスズメだという。「紅雀」と書くとそういうものかと思ったのだが、下の画像がそのベニスズメの姿である。
 自分と云えば、見たことがない。そうして、どことなく清少納言の好みにとは思えない姿のように感じた。

Red Munia Estrilda amandava. Photographed in Bangalore, India. Photograph by Vijay Cavale vijay AT indiabirds.com

 そこで、ウィキペディアに当たると、ベニスズメが「日本に定着した経緯」としてこうある。

 姿も鳴き声も美しいので18世紀から輸入され飼われてきた。日本で野外における繁殖が確認されたのは高度経済成長がはじまった1960年頃からで、1970年代から1980年代頃には日本各地で繁殖が確認されたが、近年は激減したようである。

 どうやらこの解説では、元々は日本に生息していなかったものらしい。飼われていたものが、籠から抜け出して、それが野生化したのだという。この情報を信ずるならば、平安京の空を飛び回っていた清少納言の「かしら赤き雀」は、このベニスズメでないようだ。はっきりとは言い切れないが。
 
 そこで別の注釈に当たると「ニュウナイスズメ」であるとされていた。

   「ニュウナイスズメ」の情報としては、ここ日本野鳥の会京都支部のサイトが詳しい。

 そこからの引用である。

普通のスズメに比べて頭の赤味が強く、頬に黒い班がないのが特徴。
本州中部以北で局地的に繁殖し、京都府内には冬鳥として主に農耕地などに渡来する。
スズメの群に混じっていることもある。
スズメに似た「チュン、チュン」のほか「チィー」と鳴く。

ニュナイスズメ日本野鳥の会 京都支部

 ドンピシャでは無いか。その「赤味が強く」というのが、説得力がある。
 それに、「枕草子」では、これも。

 うつくしきもの。 瓜にかきたるちごの顔。 すずめの子の、ねず鳴きするに踊り来る。 二つ三つばかりなるちごの急ぎてはいくる道に、 いと小さきちりのありけるを目ざとに見つけて、 いとをかしげなるおよびにとらへて、大人などにみせたる、いとうつくし。

枕草子

 このすずめの子がねず鳴きしながら、踊るようにやって来たいう、「ねず鳴き」とは、鼠に似た鳴き声というから『「チュン、チュン」のほか「チィー』でぴったりである。可愛らしいではないか。
 恐らく、この雀もニュナイスズメであったとろうと、自分は勝手に思うのである。

 さてさて、平安のやんごとなき人々が目にしていたニュウナイスズメと、陋屋の屋根の隙間に暮らしていたスズメは、果たして同じスズメであったかのか、結論からいうと、やはり別物であった。

 どうやら日本国内のスズメは、二種類であるらしい。一つはニュウナイスズメ、もう一種はスズメ。ただ、の、「スズメ」。
 その見分け方は、頬の黒い班模様のありなし。と云われれば、ここに挙げたスズメには、ほっぺったにちゃんと黒い斑紋が刻されている。つまり、自分の身近に日頃さえずる雀たちは、「スズメ」であったということが、判明したのである。
 
 さて、春頃、櫻の花の枝なんかでちょこちょこと動き回るスズメの楽しげな様子もうれしいが、自分としては冬の今頃のスズメが好きだ。

   激しく吹きつける空っ風にきりきり舞いするどころか、その風よりも早く群れが一斉にすっ飛んで行く如くに移動する。その様のスズメたちが、凄い。   ちっぽけな身体であるが、一団となると、とにかく賑やかで激しい。

 聞くところによると、スズメの平均寿命では、1年から3年とか。スズメにとってそれが、長いか短いか知らないが、寒風を引き裂くように群れ飛ぶ姿を見ていると、頑張ってるなあと、心を打たれるのである。

 そういうことで、雀の句と云えば、なんと言っても一茶である。

福わらや雀が踊るとびがまふ  一茶


 一見いかにも、新年らしい長閑な句である。
「福わら」というのは、見たことがないが、「新年、門口や庭に敷く新しく清い藁。歳神を祭る場を清めるためといわれるが、年賀の客の足を汚さないためともされる。」(きごさい歳時記より)であるとか。

 そこに雀が藁に取り残された籾を啄みに踊らんばかりだ。空では鳶がゆったり輪を描いてとんでいる。雀チュンチュン、鳶はピーヒョロロ、とか。ああなんと気持ちよい初春ではないか、、そういう事だろう。
 だがネー、それでは一茶らしくないような気がする。自分の目から見ると、この鳶は、大喜びで餌を探しに寄ってきたスズメ達を狙って虎視眈々というのが、本当でないかと。
 スズメたちよ、「禍福はあざなえる綱の如し」あるぞとか。
 
 そういうものだね、生きると云うことは。

 そうして、鳶より怖いものは何かと云えば・・・。

人鬼に鳴かゝりけり親雀  一茶

 さて、我が家のスズメの舌を切った覚えは皆無であるが、もしかすると安穏に暮らして子作りにはげんでいたスズメ一家に、われら「おじいさんとおばあさん」、無自覚に脅かすようなことをしていたのだろうか。胸に手を当てて、考えて見るべきや。

 


小雀の声たのしみに冬送る 空茶