ため息俳句 メメクラゲ
娘一家が、海水浴に行った動画を送ってきた。二人の孫の女児は、なにより無事でいて欲しい、と思った。
つげ義春の『ねじ式』は、こういう風に始まっている。
まさか
こんな所に
メメクラゲが
いるとは
思わなかった
ぼくは
たまたま
この海辺に来て
メメクラゲに
右腕を噛まれて
しまったのだ
当然静脈は
切断された
真赤な血が
とどめもなく
流れだした
ぼくは
出血多量で
死ぬかもしれない
一刻も速く
医者に行か
なければ
ならないのだ
はて、その「メメクラゲ」とは、どのような生物なのだろう。
主人公の青年は、右手で左の二の腕の中頃をおさえて、出血を止めている。
「当然静脈は切断された」とあるから、このメメクラゲは人の静脈を切断する威力を始めから持っていて、そんな風に負傷させられて「当然」な生きものなのだと、《ぼく》は認識している。つまり、《ぼく》には「メメクラゲ」は既知の生物なのだ。
ところで、そもそもの「メメクラゲ」であるが、『「××クラゲ」と原稿にあったものが誤読により誤植されてしまったもの』(ピクシブ百科事典)であるそうなのだ。それがそのまま修正もされず継続したということは、誤植であるが、そのままオリジナルとしようとおそらく作者に認められたからだろう。そうであれば、「メメクラゲ」はこの作品中においては、姿こそ示されないが、実在するのである。
一般にクラゲによる負傷被害とはどのようなものであるのか。
以上の記述によれば、この主人公の青年が受けた被害は、クラゲによる刺傷の通例にはない特殊な事例のように思える。少なくとも、クラゲの毒性については何も触れられていないし、実際脅威にもなっていなかったようだ。
さて、自分も、この『ねじ式』を目にしたときは衝撃であった。その時は世間の一部でこの作品が大いに話題になっていて、ミーハーな自分も引き寄せられたのであろう。
依頼、すっかりつげ義春のファンになって、様々影響を受けたように思う。今や自分のことを自分で「無能の人」と密かに呼んでいるのである。
本題の「メメクラゲ」であるが、これが恐ろしい。真実は、誤読誤植から生まれたものであったというが、怪異というのは大体においてそういう人の見間違いから出現するものだ。
化物の 正体見たり 枯をばな 也有
この句は、理性の句であるが、枯れ尾花をそのまま化け物と信じ、語り継がれると、もう立派にその「化物」は実在すると、世間に通用することだって、ある。
そういうわけで、自分の脳内には「メメクラゲ」は、実態不明ながら密やかに息づいているのである。
自分は、海には近づくが決して波打つ際を越えて海へ入ったことは、もう60年以上一度たりとはない。おかげで、メメクラゲには、一生襲われることはないだろう。
どうやら、和歌山の海らしい。パンダの画像もやってきた。『ねじ式』の「ぼく」はどこへまで海水浴にいったのだろう。気になるが、・・・・。