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ため息俳句 12月の向日葵
畑の向日葵の話である。
前回は、こんな風にお伝えした。
これが今日の向日葵である。
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さて、岸上大作という若者が21歳という若さで、自ら命を絶ったのは、1960年12月5日である。
その日は土砂降りの雨であったとか。
近頃は短歌ブームと云われている、知る人も多いだろう。
彼は1939年生まれであるから、自分は10歳分遅れて生まれたことになる。 1970年ごろの自分は、酷く満たされない日々であった、その頃に「岸上大作」の歌に出会ったのだった。
国会図書館デジタルコレクションで「岸上大作」と検索したところ、おびただしい数の岸上論が出てきた。その中から昔読んだ記憶のある諸氏のものや初見のそれらを拾い読みして、午後を過ごしたのだった。
十二月へ異議発語せよ向日葵 空茶
縊死似せてうなだれてども向日葵
岸上大作プロフィール
昭和14年(1939年)から昭和35年(1960年)。
兵庫県神崎郡福崎町に生まれる。5歳の時、父が戦病死。一家を支えて働く母の姿を見て育つ。田原小学校、田原中学校(現・福崎東中学校)、県立福崎高等学校を経て、國學院大學に進学。福崎高等学校在学中より短歌を作りはじめ、地元結社「文学圏」や東京の「まひる野」に参加。大学では國學院大學短歌研究会に所属。自ら同人誌「汎」や「具象」を創刊。昭和35年(1960)、安保闘争を詠んだ連作「意志表示」により、「短歌研究」新人賞に推薦。学生歌人として一躍注目された矢先、失恋を理由に自らの命を絶った。翌年、友人たちの手により遺作集『意志表示』出版。その後も、『岸上大作全集』や高校時代以来の日記を編んだ『もうひとつの意志表示』『青春以前の記』などが刊行され、その短歌作品は教科書にも採用された。