ため息俳句 かたくりの花
栃木県佐野市の三毳山の麓にカタクリの自生地がある。
今日は、あまりに温かで穏やかな日和であったので、そこへ出かけた。
その三毳山は、万葉集巻十四東歌の下野国の歌に詠み込まれている。
下野 三毳の山の こ楢のす まぐはし児ろは 誰が笥か持たむ
歌意)下野の三毳の山の小楢のように可憐なあの子は誰に嫁ぐのだろうか。
これは、『完訳日本の古典6』の訳をそのままに引用したものだが、「誰に嫁ぐのだろうか」というところは、歌のことばに添うと「誰の食器を持つことであろうか」ということになる、つまりどんな男の食事の世話をするのだろうと。そこで気持ちとしては、誰の妻になることであろうかと、いうことになる。
この歌、プラトニックな恋とも、ただの冷やかしともとれるのだが、自分としては、口に出しては言えない素朴な男の心情と思いたい。好きな人の初々しいかわいらしさを、小楢のみずみずしい若葉に喩えているのも鄙びていてよいではないか。
この三毳山のなだらかな山容やあたりの風景にもぴったりだ。
それなら、カタクリの花を可憐な乙女と見立てることも十分にありだと思うのだ。
このカタクリの群生地は、「万葉自然公園かたくりの里」と呼ばれている。何時であったか、多分10年以前になろう、始めてここを訪れた時は本当にびっくりした。山の麓の谷の斜面一帯にカタクリが群生しているのをみてこんな「世界」もあるのだと、大げさにいえば一瞬呆然となったのだった。
今日も今日とて、駐車場から山道を一〇分足らずで群生地に着いた。半袖姿でやってくる人もちらほらといて、初夏のような陽気。
すでに花盛りは過ぎていて、花数が少なくなっていた。それでも、十分に楽しむことができた。
木漏れ日す三毳の山にかたかごの花 空茶
「堅香子」とは、カタクリの花のこととされている。