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ため息俳句 梅の香り
こんな陽気になったので、森林公園へその後の梅の様子を見に行った。
あれからほぼ一月が経過した。
ところで、蕪村の句にこんなのがある。
梅遠近南すべく北すべく 蕪村
俳句をなさっているの間では、よくご存じの句である。
「梅が遠くに近くにもある。そうして南にゆくことができるし、北にゆくこともできる。道はいずれの方向にも続いていて、どこへでも梅の花を愛で、香りを楽しみに行けるのだ。」
そんな感じの句意だろう。
確かに我が家の庭先にもあるくらいだから、散歩の途中にも至るところで咲いている。わざわざ、遠くまで足を運ぶこともあるまいにと内心思うが、でもやはり毎年訪ねている梅園であるからこの時期になるとつい足が向くのだ。
それも、一度ならず二度三度と見にゆくとは、暇人であるのも、ここに極まれりということか。
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この森林公園の梅林には、約100品種400本と、公園のHPにはある。そのすべてが咲き出しているわけでないのはあたりまえで、早咲きもあれば遅咲きもある。今日も、咲いているものもあれば、未だつぼみというものもあって、全体としては三、四割の開花という感じか。
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新古今集の春歌のなかでこんな歌はどうか。
如月まで梅の花さき侍らざりける年、よみ侍ける
中務
しるらめや霞の空をながめつゝ花もにほはぬ春をなげくと
「二月まで梅が咲かなかった年、詠んだものですよ」と前書きがある。今年のような寒波に襲われてか、そういう年もあったのだろう。
歌は、「おまえは知っているであろうか。霞む空に見入りながらも花もまだ匂ってこない春を嘆いていると」
この誰かに呼びかけている調子の歌であるが、だれに対してかと言うとその梅の木に向けてのことのようなのだ。
この歌でもわかるが、梅はその花を愛でるのではあるが、やはりその香りこそが「梅」である。
まことに、梅の香りを歌った詩歌なら数限りなくある。
そこで、今日はその梅が香りに注意して梅林を歩くことにした。よくよく思いかえすと、梅の匂うことは経験的に知ってはいるが、よくよく味わうように嗅いだということは、これまでになかった。
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で、どうであったか。
それは、たしかに、匂っていたのだが、・・・・。
梅の香りに誘われて思い出す人とてひとりもいないのであった。
本当に無粋な人間だ、俺は。
本来、俳句つくりなんて、向いていないのだ。
思うこと我は誰かと梅香る 空茶
梅林や静けく話す人ばかり
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