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ため息俳句 麦蒔きの頃

 十二月。
 小春日の陽気が続く。
 週末は、冬の寒さが到来するとの予報であるが、先はともあれ今日が良い天気ならそれでよい。
  さて今夜は、秩父夜祭の宵宮だと朝方寝床の中で、ふと思い出した。
 これまでの自分であれば、十一月半ばから今年はどうすると都合などを思案するようになって、そわそわしたりして来たのだが、今年はすっかり忘れていた。
 こんなに暖かな陽気が続いているのだから、夜祭見物にはもってこいの感じだなと思ったのだが、同時に是非とも行こうという気持ちが自分にないことに気づいた。是非なんて云わずともである。
 
 昨年が、ああだったのだから、もう夜祭もよかろう、そんな気分だ。

 朝飯を食べて、ぼんやりした後、久しぶりに自転車散歩。ハイカラにいうと「ポタリング」というのだそうだが、自転車でぶらぶら走るのある。
 住む所は地方都市の近郊であるから、ちょっとペダルを踏むと、田園風景が広がってくる。今は、麦を蒔く直前か、或いは蒔いてしまったのか、田んぼは綺麗に耕されて、見える限りでも数台のトラクターが稼働していた。田んぼというのは、この辺は稲作と麦作に二毛作地帯なのだ。冬から春までは、麦の季節なのだ。

 田んぼの間に林立する送電鉄塔、その背後に見えるのが、赤城山である。
 この辺りは、大きな変電所もあって、只見の方からやってくるらしい高圧送電線の鉄塔が何系統も並び立って、鉄塔マニアには面白い景観となっている。
 (ヘッダーの画像で、見えているのは浅間山である、念のため。)
 

 又農道の脇の電柱の列も、なかなかよいのだ。

 そんな電信柱の列にそって走って行くと、いつも宮澤賢治の『月夜のでんしんばしら』の電柱の行進が思い浮かぶ。「ドッテテドッテテ、ドッテテド」というあれだ。そこで、つぶやきながら、ちょっと元気を出して、ペダルを踏むことになる。

「ドッテテドッテテ、ドッテテド、
でんしんばしらのぐんたいは
はやさせかいにたぐいなし
ドッテテドッテテ、ドッテテド
でんしんばしらのぐんたいは
きりつせかいにならびなし。」

宮澤賢治「月夜のでんしんばしら」より

 さて、赤城山に背を向けて南に走り始めると、南西方向に秩父の山並みが見える。その中にてっぺんが削られて平らになった形の武甲山が見えてくる。
 その武甲山は、秩父の街のどこからでも眺めることが出来る。

 秩父神社のHPにこういう解説がある。

 現行十二月三日の夜祭をめぐっては、今でも地元に語り伝えられる微笑ましい神話があります。それが語るには、神社にまつる妙見菩薩は女神さま、武甲山に棲む神は男神さまで、互いに相思相愛の仲であります。ところが残念なことに、実は武甲山さまの正妻が近くの町内に鎮まるお諏訪さまなので、お二方も毎晩逢瀬を重ねるわけにもゆかず、かろうじて夜祭の晩だけはお諏訪さまの許しを得て、年に一度の逢引きをされるというものです。

 この祭には、まず二日の晩に「お諏訪渡り」と言って、神幸路の途中にある諏訪社に予め神幸祭執行を報告する神事があり、翌三日の晩には、神幸行列を先導する六台の笠鉾と屋台も、この諏訪社に近い地点を通過するときには、勇壮な屋台囃子の鳴りをひそめて静かにする例が守られてきました。

たしかに武甲山は、その山麓に対面して鎮座する秩父神社の、いわば神体山に当たります。盆地の南面を遮って一千米ほどそそり立つ山容は、山麓に拡がる秩父市街を見守る巨大な屏風をなすが如くであります。そしてこの夜祭には、市街中央の本社から祭神が武甲山に向けて出立され、この山を正面に望んで「お花畑」という名をもつ高台の「お山」神事によって、神体山に還り鎮まるという古代祭祀の様式が今に潜んでいるのです。

 秩父地方開闢の頃に秩父国造が本社祭神を八意思兼神に定め、やがて中世に妙見菩薩がそれに習合します。そのように本社に常在する祭神が出来、いつしか本社の女神とお山の男神が別の神格とに分かれたことで、夜祭も男女二神逢瀬の神事となりました。しかし、それでもなお、古代祭祀の原型をとどめる徴があって、それが唯一、神幸行列の先頭を行く大榊に巻きつけられた藁造りの龍神に求められます。

「秩父神社」https://www.chichibu-jinja.or.jp/yomatsuri/より

 そうその武甲山が遠望されるのであった。
 

ペダル踏む赤城山あかぎやま背に武甲山ぶこうざん  空茶

小春日や秩父辺りは笛太鼓


 明日が、本祭当日。
 もしかすると、明日の朝には、やっぱりお祭り好きの血が騒ぐかも知れない。

 ちなみに、宮澤賢治は盛岡農林学校に入学し20歳の1916(大正5)年9月に関豊太郎教授らと共に秩父・長瀞・三峰地方を訪れ地質巡検を行い、多数の岩石や鉱石を採集し持ち帰っている。