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ため息俳句番外#26 「取り俳」

 夕べから雨が降っている。予報では一日雨であるという。
 テレビは、小笠原、伊豆諸島、太平洋側沿岸への津波注意報を知らせている。
 肌寒い朝だ。

秋霖や一日猫と暮らしたし


 さて、田辺聖子の「ひねくれ一茶」を読んでいてこんな一節に出会った。

 そうだ、そういえば今日は、墨田川へ花見にいく約束を、其翠堂きすいどう一掬いつきくと交わしている。一掬は日本橋小網町の糸屋の主人で、大の俳句好きであるが、そこいらにいくらでもいる凡俳である。自分でもそれを知っていて、ただ、人の句を感心したり、あれがどう、これがどう、というのが好きという、いうなれば俳諧取り巻き連というか。
 (取り俳、というべいか。)
 と、一茶は笑う。しかし一茶は一掬が好きである。自分から一茶の門人を志願し、実作はあまり示さないが、米だの味噌だの、小商人の一掬さんであるが、折々に心づかいをみせてくれる。純なところのある中年男だ。
 いったい今日びほど俳諧の盛んな時代はないと人々はいうけれど、それも一掬のような「取り俳」が、うんとこさ、底辺を支えているからであるまいか。ちゃんと本業をもちながら俳句に手を染め、その方面で名をあげるのを、「遊俳ゆうはい」といい、俳句で身を立てる、判者でめしを食うのを、「業俳ぎょうはい」と世にいうようにだ。飯を食えるのも、あるいはまた、手ぐさみに俳句をたのしんで、それでいて世間になをあげるのも、ひとえに、俳句好き、俳句の取り巻き、
 「取り俳」
 が多いからではないか。

 さて、「小説の一茶」の口を借りて、「凡俳」はちょっと別だが、「取り俳」「遊俳」「業俳」と、俳人諸子を三つに類型化ている。その中で、「取り俳」というのは、作者の造語であろうが、これは俺もまったくのところ、そこに分類されるなと思った。
 
 しかし、自分には米や味噌の付け届けをしたくてもお師匠さんはいない。勿論、句を見せ合う友人もいない。どこにでも転がっていそうな俳諧関連の書籍とネット上で活躍される方の作品を読ませていただく程度の「取り俳」だから、誰にも心遣いなど無用な気楽なものだ。

 いつか書いた気もするので、蒸し返しになるかも知らないが、ついに体を壊して廃業に至ってしまったのだが、長い間お世話になっていた床屋のおばちゃんが、公民館の俳句サークルに参加していた。
 おばちゃんから二三度誘われたが、返事を濁していると、いわなくなった。
 おばちゃんは髪を刈りながら、よく句会の話をしてくれたのだが、月二回の定例句会の日が近づくと、気分が重くなるのだと何度かこぼすのを聞かされた。句会で点を取れる作をなかなかものにできないという悩みなら当たり前だが、それ以外に句会仲間へわだかまる感情があるらしいのだった。当然指導される先生がおいでのわけだがそれはさておき、お弟子さん仲間にリーダ的存在の人がいて、その人への複雑な感情を抱いていた。「何とかさんは優秀なのに、私はなんにも知らないし、・・・」「その人は先生のお気に入りであるし・・・」うにゃうにゃと、何度も聴いた。
 俳句の出来不出来もさることながら、句会の席での仲間の様子が気になって仕方ないようであった。おばちゃんにとって、句会は日常からちょっと離れた社交の場であって、お楽しみであるはずなのだ。肝心の「俳句」はそのお楽しみの、いわば座持ちの「おもちゃ」のようなもののように、自分には受けとられた。
 どんな場面でも、人間関係は発生する。人間関係というのは、俗情に流れやすい、それは句会という場でも起こるであろうと、想像できる。

 床屋のおばちゃんに、自分の俳句好きは云っていないのだが、そういうことを聞いていると、ますますおばちゃんの誘いに乗らなくてよかったと思う半面、「俳句」というものはちゃんと役に立つものだと感じた。
 おばちゃん、あれこれこぼすのであるが、月二回の句会は日々の店に立つ働く日常をからの解放であるし、客のない時間家事ではなく句作に一時でも集中するというのは、頭脳の快楽ともなっているだろう。そこにある人間関係も、日ごろ客あしらいやの近所づきあいのそれとは違う質のものだ、それはそれで世界を広げることができる。
 おばちゃんもまた「取り俳」のひとりであったのだ。ただ、どんな句を詠んでいるかは、一度も教えてくれなかった。いつか聞く機会があればいいなだが。

 それでは、凡俳の自分であるが、「ひねくれ一茶」の続きを読もう。