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ため息俳句例外 鶴と亀

 自治会から「敬老の日」の祝いの品を配布するので受け取りにおいでなさいと、通知が来た。
 どうやらこの地域では、後期高齢者の年齢に達するとお祝いの受け取りができるようになっているらしい。
 そういうことで、そのお祝いの品をいただきに、自治会に出頭してありがたく受理してきた。
 タオル1本、ペットボトルの「おーいお茶」一本、それに近所のスーパーマーケットの商品券金額は伏せる)が、お祝いの品であった。
 
 せっかくのいただきものにケチをつけるなどとは、いくら常識知らずの爺ィであっても、そういう下品な気持ちはないと、あらかじめ申し上げておく

 で、そのタオルであるが、鶴亀がデザインされたタオルで、「いつまでもお元気で」とことばがそえてある。さすがに、タオルは温泉宿でもらうタオルより上等であった。(余談だが、温泉タオルは好きだ、あの素材であればこそ石鹸がなじんで体を気持ちよく洗えるのだ。上等であればよいというものでない)
 
 ちょっと、軽くショックを受けた。「鶴亀」とはねえ。
 鶴亀といえば、古来長寿のシンボルである。「敬老の日」にはぴったりだと、言える。のにもかかわらず、ちょっと噴出した。

 70歳を古希というが、それは 杜甫の「曲江」に由来する。それはこんなである。

「曲江」 杜甫

朝回日日典春衣 役所が退ければ質屋に行って春着を質に入れ
毎日江頭尽酔帰 
毎日曲江のほとりでへべれけに酔っ払って帰る
酒債尋常行処有 
そうよ、飲み代のつけならばあっちこちにある
人生七十古来稀 
ままよ人生七十年なんて昔からめったにないぞ
穿花蛺蝶深深見 蜜を吸う蝶々が花の間に見えたり隠れたりして  
点水蜻點款款飛 
水面に点々と跡を残して蜻蛉とんぼがゆうゆうと飛ぶ
伝語風光共流転 
伝えてよ風よ光よ、共にすべてが移ろうのだと
暫時相賞莫相違 
せめて少しの間だけでも互いに認めあおうよと
 

 訳は、拙訳でご勘弁願いたい。
 これが、今は「七十年」から「百年」に延長されたのだ。だが、相互不信の汚辱の世の中に生きる杜甫の悲しみは、現在に生きる自分たちも同じだ。
 長寿を祝う、願うという気持ちは、誰にだってあるのだが、長生きするするのも楽でないのだ。この年になって、しみじみそう思うのだ。
 もしも、自分が鶴か亀であらなら、この地球温暖化と自然破壊が進行するのなかで、どう思うだろうかと、思ったりした。
 
 今日は、一首で失礼。

望むこと孫子の代まで安らけく食って寝てって死にたし  空茶


その先のことまで、願うのはナンセンスだろう。