成り立ちから言うとむしろロック・ジャズと言うべきなんじゃないかと。
ジャズ・ロックとはジャズとロックが融合した音楽だ。
ジャズ側からのアプローチから始まったのでロック・ジャズじゃないかと思うけど座りがわるいからジャズ・ロックと命名されたのだろう。
ジャズ・ミュージシャンが8ビートを導入した先駆けはシングル・カットされてビルボード・トップ100の81位を獲得したリー・モーガンの「サイド・ワインダー」(1964)だろう。
【きっかけ屋☆映画・音楽・本ときどき猫も 第49回】
翌年のラムゼイ・ルイス・トリオの「ジ・イン・クラウド」(1965)も同じく5位に輝き、同名のアルバムは第8回グラミー賞(1966年)で最優秀インストゥルメンタル・ジャズ・パフォーマンス賞(小グループまたは小グループにおけるソロイスト部門)を受賞。
続く大ヒットキャノンボール・アダレイ・クインテットによる「マーシー・マーシー・マーシー」(1966)はビルボード・トップ100で2週連続11位に輝きアルバムも第10回グラミー賞のベスト・ジャズ・インストゥルメンタル・アルバムを受賞した。
オーソドックスなジャズを好むファンたちは彼等の音楽をコマーシャリズムに毒されていると嘆いたが元々ジャズは様々なジャンルの音楽を貪欲に採り入れて進化したのだから目くじらをたてることもない。
ここでちょっと付け加えておきたいことがある。
1963年7月15日(月)。
ソニー・ロリンズの『サキソフォン・コロッサス』でジャズに目覚めてから71日目に高校一年のぼくは初ジャズ・コンサートを体験する。
演奏者は初来日したキャノンボール・アダレイ・セクステットで会場はサンケイホール。
大好きなキャノンボールのステージが見られることにわくわくした。
日本でも大ヒットした「モーニン」の作曲者でピアニストのボビー・ティモンズも見られるはずだった。
ところが来日直前にティモンズがメンバーから外れ日本公演のステージに現れたのは白人の若手ピアニストだった。
クラシック出身というだけあってやたら演奏はうまいけれどフアンキー臭さが感じられない。
上手いけれど面白くないというパターンだ。
クラシックのピアニストとしてウィーンの三羽烏の一人だと定評のあったヨーゼフ・エーリッヒ・ツァヴィヌル、若き日のジョー・ザヴィヌルだった。
それから3年後。
ジョー・ザヴィヌルが「マーシー・マーーシー・マーシー」を作曲してウーリッツァーのエレクトリック・ピアノで見事にファンキーな演奏を聞かせてくれた時にはその成長ぶりにびっくりした。
その後ジョーは1970年にウェイン・ショーター、ミロスラフ・ヴィトウス、アイアート・モレイラらとともに世界最強のエレクトリック・バンド、ウェザー・リポートを結成して全世界のジャズ・ファンを狂気させた。
これほど短時間の間に成長したミュージシャンと言えばESPレーベルでアヴァンギャルド・ジャズを演奏していたがその後フュージョン・ジャズの帝王となったボブ・ジェームスくらいじゃないだろうか。
2007年09月11日(火)ジョー・ザヴィヌル死去。享年75歳。
ジャズ・ロックは1970年初頭あたりから急激に勢いを増す。
この続きはまた明日。
明日は続々と登場したジャズ・ロック・グループのお話です。
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