世界がこんなことになったからあえて口に出してしまうけど神も仏もあるものかと思っていた。
若い頃から哲学と宗教と科学をつきつめるのが人間にとって一番面白くて必要なお仕事だと思っていた。
なかでも宗教。
これが分からない。
神様がいるとはとても思えなかった。
神様がいるということを誰がどんな形で証明してくれたのよ、今まで。
それが間違いだと気づいたのがつい最近のことだから奥手にも程がある。
【きっかけ屋☆映画・音楽・本ときどき猫も 第79回】
神様は存在する。
ただし生き物ではない。
宇宙を司るエネルギーそのものが神様だということだ。
だから形がない、姿が見えないのは当たり前。
人類を創造したのは神様だ。
猿が進化して人間になったという説に対しても今だに半信半疑だ。
ただし神様を祈りの対象にするのは間違っている。
この宇宙で唯一完璧な存在である神様に手落ちがあるはずがない。
神様が欠陥品を世の中におくりだすわけはないだろう。
なので、
神様に祈ったところで聞き入れてくれるはずがない。
完璧な生き物として神様がこの世の中におくりだしたのだから人類に手落ちはないはずだし、いちいち人類一人ひとりの願い事を叶えるほど神様も暇ではない。
神様は自分の手で問題を解決するようにと思っているはずだ。
甘えるのもほどほどにおし、な〜んて。
ぼくたちが心がけなくてはいけないのは神様に祈りを捧げることではなく感謝の気持を伝えることだ。
神社仏閣でお祈りすることも無意味だ。
安産祈願や合格祈願やダイエット祈願やなにやら祈ったところで聞き入れてくれるはずもない。
自分勝手な頼みごとではなく今日も無事に生きていられることへの感謝の気持ちをお伝えするための場所が神社仏閣なんだから。
今現在世界中の人類が神様に助けてくれと祈っているはずだけれど事態は悪化するばかりだ。
神様が人々の願いを聞き入れてくれるというのであれば今の新型コロナウイルス騒ぎを一気に解決してくれなくてはおかしいでしょ。
神様はいるけれど神様に祈りなさいと説く宗教がおかしいのね。
宗教というのは人々に与えられたアヘンのようなもの。
人々を依存体質にしてしまう中毒物質が宗教なんだ。
神に祈りなさいなどとんでもない話だ。
祈って何かが解決するほど世の中甘くないでしょ。
さんざっぱら我が物顔で地球の自然を痛めつけた人類が今になって神様助けてくださいってのは虫が良すぎると思う。
2,500年前に神に祈ることの無意味さを説いているのがお釈迦さまだ。
ちなみにお釈迦さまは仏教ではない。
お釈迦様は人間の倫理について説いた偉人、ブッダ(悟った人)だ。
お釈迦様の話を後々弟子たちが体系化して仏教という宗教を練り上げた。
お釈迦様の教えを守らなかったので人類はこの体たらくを生んだ。
っていう考え方は偏っているのかな?おかしいのかな?
まっいいか。
人それぞれの考え方があり人はそれぞれ自分の世界しか見ることが出来ないのだから。
がっ、お釈迦さまはをそれを正そうとして真理を説いてくれた。
自分の見方、相手の見方、そして俯瞰して世界と自分を観察しなさいと。
閑話休題。
バッハは神に捧げる音楽を創り続けたけれどモーツァルトは神の音楽そのものだ。
モーツァルトの楽曲には破綻や作為が全く感じられずまるで一筆書きのように音や響きがさらさらするする淀みなく流れている。
いったい何なのこの人はと思わざるを得ない。
オーストリア皇帝に仕える宮廷楽長としてヨーロッパの楽壇の頂点に立ち、ベートーヴェン、シューべルト、リストらを育てたアントニオ・サリエリの目を通してモーツァルトを描いた舞台を1984年にミロシュ・フォマン監督が映画化した『アマデウス』。
この映画で描かれているモーツァルト像がどこまで史実に忠実なのかは分からないけれど楽聖モーツァルトという崇高だけど陳腐なイメージは見事にぶち壊されて小気味よい。
女性のお尻ばかり追いかけて下品なシモネタを連発するスケベな小男モーツァルトがひとたび演奏や指揮を始めると至上の美しさで聴衆の心を鷲掴みにする。
こ〜いう落差があるから人間は面白い。
モーツァルトを迎えるためにサリエリが苦労して作曲した曲をちら見ちら耳しただけで完成度の高い曲につくり変えながら変奏するモーツァルトを目の当たりにしたサリエリは一瞬にして自分とモーツァルトの才能の落差に愕然として絶望の淵に追いやられて神様の不公平さを呪う。
悲しいかな血の滲む努力を重ねても凡人は天才には太刀打ちできない。
これ見よがしなスリルではなく音の流れに身を任せているうちにいつの間にかまるでメビウスの輪のように緊張と緩和が入れ替わるスリルをモーツァルト以外の作曲家で感じたことがない。
これほど巧みな音楽が試行錯誤して生まれたとはとても思えない。
神の響きを自動書記したとしか思えないのでモーツァルトはチャネラーだと強引に結論付けてしまった。
晩年精神病院に入れられて「自分がモーツァルトを殺害したのだ」と言い張るサリエリが牧師に懺悔するシーンから始まる映画『アマデウス』。
1985年第57回アカデミー賞で作品賞、監督賞、主演男優賞、脚色賞、美術賞、衣裳デザイン賞、メイクアップ賞、音響賞の8部門を受賞したこの作品はすべての面白がり屋におすすめできる第一級のエンタテイメントだ。
その後ぼくはモーツァルトとバッハをきっかけにして古楽器演奏に目覚めることになる。
最後までお読みいただき有難うございました。
次回もお寄り頂ければ嬉しいです。
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2002年から書き続けているブログ「万歩計日和」です。