1日1枚のレコードを5日間連続で紹介してください。ジャケ写やコメントはなくてもOKで す。
毎回どなたかにバトンを渡して指名してくださいというメールをFacebook友達から頂き、昨日、一昨日で4枚のレコードを紹介しましたので最後の1枚のご紹介です。
【きっかけ屋☆映画・音楽・本ときどき猫も 第90回】
一昨日選んだ2枚はこちらです。
昨日選んだ2枚がこちらです。
これが最後の1枚となります。
「アルバムチャレンジ」5日目
『センチメンタル・シティ・ロマンス』
○演奏者 センチメンタル・シティ・ロマンス
○演目
A面
(1)うちわもめ
(2)うん、と僕は
(3)あの娘の窓灯り
(4)庄内慕情
(5)籠時(こもりどき)
B面
(1)暖時(くつろぎ)
(2)恋の季節 Part1
(3)小童(こわっぱ)
(4)おかめとひょっとこ
(5)マイ・ウディ・カントリー
(6)ロスアンジェルス大橋Uターン
○録音
1975年4〜6月 音響ハウス第2スタジオ、CBS / SONY 第1、第3スタジオ。
洋楽ディレクターを5年続けて仕事がマンネリになり始めたころ日本のロックが俄然面白くなリ始めた。
上司、というよりフリー・ジャズ命だったぼくをロックの世界に引きずり込んだお師匠さんとも言うべき堤光生さんとぼくは「CBS / SONYも日本のロックの国内制作をやるべきだ」と会社に申し出た。
そのあたりの話はこちらで書きました。
「そんなにやりたければやりなさい」と快く会社からOKをもらえたのは堤さんが会社から信頼されていた証だ。
さっそく休日返上で自分たちが納得できるグループを探し始めた。
・飛び抜けてギターが上手い高校生チャー。
・みごとにソウル・ミュージックを自分たちのスタイルにした上田正樹とサウス・トゥ・サウス、ソー・バッド・レビュー。
・金沢でサザン・ロックだって?めんたんぴん。
・まさにジミ・ヘンだった3/3のレック。
・日本のピンク・フロイドと騒がれた四人囃子。
・日本のグラム・ロックだ〜〜〜!ルージュ。
・沖縄から飛び出した強烈な個性の紫とコンディション・グリーン。
・ハイセンスなポップスを歌う山下達郎。
・めちゃくちゃセンスのいいギタリスト大村憲治。
・名古屋からウエスト・コースト・サウンドを奏でたセンチメンタル・シティ・ロマンス。
噂が耳に入ればすぐ地方に出張して本人たちと会いライブを聴き話し合って飲み明かした。
デモ・テープまで録音したグループもあり秘蔵のオープンリールは今も手元にある。
先方からことわられたりこちらが踏み切れなかったり紆余曲折を経て満場一致(といっても二人だけど)で選んだのがセンチメンタル・シティ・ロマンスと四人囃子だった。
ぼくはセンチの『センチメンタル・シティ・ロマンス』、『ホリデイ』、『シティ・マジック』と四人囃子の『ゴールデン・ピクニックス』を制作した。
国内制作未経験の素人がよく図々しくもディレクターだのプロデューサーだのと名乗ったものだと今となっては思う。
『センチメンタル・シティ・ロマンス』はCBS/SONYレコード洋楽部の国内制作という珍しいスタートを切り、センチのメンバーと何人かの名古屋のスタッフは蒲田の一軒家で共同生活しながらレコーディングに挑んだ。
素晴らしい楽曲と見事な演奏、すか〜〜んと垢抜けたジャケットに見事に映えるセンチメンタル・シティ・ロマンスのロゴマークそして何よりもメンバーと素晴らしいスタッフに恵まれてとても完成度の高いアルバムが出来上がった。
サンプル盤を手提げ袋いっぱいに詰め込んで雑誌、新聞、ラジオ局、番組制作会社、評論家、音楽専門誌へのプロモーションに明け暮れていたある日のことニッポン放送の亀渕昭信さんから電話を頂いた。
「お前さんいいアルバムつくったね素晴らしい。でも売れないよ」
亀淵さんの予言どうりアルバムの売上は残念ながら20,000枚に届かなかった。
センチのリーダー中野督夫君とは誕生日が同じだということもあり、2018年2月2日に武蔵小山のライブカフェ・アゲインで一緒にトーク&ライブを楽しんだ。
その4ヶ月後に督ちゃんはくも膜下出血で倒れ緊急手術。
現在は病院に療養中の為センチメンタル・シティ・ロマンスはライブ活動を休止している。
督ちゃんそろそろこっちにもどっておいでや?
最後までお読みいただき有難うございました。
次回もお寄り頂ければ嬉しいです。
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2002年に書き始めたブログ「万歩計日和」です。