あこがれのマドンナからカーディガンを頼まれて真っ赤に顔を染め・・・。
『きっかけ屋 アナーキー伝』を書くために、昔の日記や2002年2月2日54歳の誕生日から書き続けているブログ「万歩計日和」を読み返してみて再確認出来たことがある。
それは、1962年春から63年夏までの約1年半の間にぼくはエンタテイメントに目覚めたということだった。
ぼくは音楽と本と映画が大好きだ。
って、まるで植草甚一さんの本のタイトルみたいだけど、植草さんを知ってる人は今や少ないよね。
【きっかけ屋☆映画・音楽・本ときどき猫も 第2回】
植草さんは60〜70年代に映画、ジャズ、ミステリー、サブカルチャー好き若者のアイドル的おじいさんだ。
70年代の若者でサブカル好きなぼくはもちろん植草さんの大ファン。
あこがれの植草さんに原稿をお願いしたときの話も『きっかけ屋アナーキー伝』に書いた素敵な思い出の一つだ。
ぼくはスポーツにも旅行にもアウトドアにも興味がない。
スポーツが嫌いになったのは中学校のバレーボール部のおかげだ。
中学一年のある日のこと。
クラスメートのTから「オレはバレーボール部に入るから一緒に入ろう」と誘われた。
「キレイな子がいるんだよ。な、一緒に入ろうぜ」
Tにつれられてバレーボール部のコートに練習を見にいくと確かにきれいな女子が練習にはげんでいる。
「入るよ」
次の日から地獄が始まった。
うさぎ跳び、腹筋、マラソン、腕立て伏せ、ボール拾いの毎日。
いつになったらバレーボールが出来るんだ。
ぼくを誘ったTは激しい特訓に耐えられなくて軟弱にも入部した翌日に退部してしまった。
何なのよそれは。
女子のキャプテンがあれほど素敵じゃなかったらぼくも一緒にやめていた。
スタイルが良くて目鼻立ちのはっきりしたボーイッシュな3年生。
森羅万象が陰と陽、プラスとマイナスのバランスから成り立っているように超プラス要因があれば超マイナス要因もあるのね。
一年先輩のIさんのことだ。
プレーは人一倍下手で鈍くさく、後輩をいじめることをきたえることと勘違いしている運動部にはよくいるタイプのいやな奴で始末におえない。
ぼくら一年生が肉体訓練でへとへとになっていると「お前ら根性がたらん!」と怒鳴りちらす。
要領のいい下級生を可愛がり、おべっかを使わない下級生にはきびしくあたる見さげはてた性格。
ぼくはスポーツが嫌いというよりも体育会的体質がきらいだった。
自分が先輩からしごかれたから自分も下級生をしごいて、それが根性をつけるための練習だと詭弁をふるう。
先輩の言うことは正しいと思えという理不尽さも納得できない。
ぼくがIさんから嫌われるようになったのは練習試合にでかけたときのことに始まる。
先輩たちの試合を応援するのは当たり前だが、ぼくの考え方は先輩たちにとって当たり前ではなかったようなのだ。
ぼくは相手のミスで先輩たちがポイントをかせいでも嬉しくないので拍手をしない。
ファインプレーしたのが敵でも拍手する。
といったような、勝負にこだわらずプレーの妙味を楽しむぼくの態度は、先輩を応援する下級生としてはふさわしくないのだろう。
この試合以来ぼくはI先輩に嫌われ「根性を入れ直してやる」格好の的となった。
さらに、火に油を注いだのが美形女子キャプテンだった。
男子の試合が終わり女子がコートに入る時のことだ。
「キミ〜、これ預かってね」と彼女はにっこり微笑んでぼくの肩にカーディガンをふわっとかぶせたのだ。
この続きはまた明日。
明日は中学2年の期末試験の終わった日に「おい映画行こうぜ」とクラスメートに誘われたことがきっかけになって・・・。
明日もお寄り頂ければ嬉しいです。
連載第一回目はこちらです。
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第1回 亀は意外と速く泳ぐ町に住むことになった件。