それはどこが映画的ですかという変化球を投げられた。
ぼくは一本だけ映画をプロデュースしたことがある。
1979年に公開した原田眞人監督のデビュー作『インディアン・サマー さらば映画の友よ』だ。
原田監督や主人公の川谷拓三さん、ヒロイン浅野温子さんとの出会いや映画制作話は『きっかけ屋アナーキー伝』に書いたのでここでは省略する。
『きっかけ屋☆映画・音楽・本ときどき猫も 第30回』
映画づくりは麻薬だ。
とてつもなく面白いけど映画のプロデュースは自分には向いていないことを痛感した。
本は作家と二人三脚で作品を仕上げることができるし音楽制作もバンドと気の合う録音エンジニアがいればいいが、どんな小規模の映画でも映画づくりは出演者やスタッフなど関わる人が多い。
多くの人たちを管理する能力がぼくにはないことを感じたからだ。
『インディアン・サマー さらば映画の友よ』の制作直前に友人の紹介で伊丹十三さんとお会いしたときのことは書いておきたい。
役者というよりもエッセイスト伊丹十三がとても好きだった。
伊丹さんの絵本を担当していた友人の女性編集者と一緒に憧れの人と会う嬉しさと緊張に包まれて渋谷の樓外樓飯店に向かった。
友人はぼくが近々映画を初めてプロデュースすることを伊丹さんに告げながら紹介してくれた。
その時に伊丹さんが発した言葉が素晴らしかった。
誰が主演ですか?
どんなストーリーですか?
いつクランクインしますか?
そんな平凡な問いかけではなかった。
伊丹さんは思わぬ角度からボールを投げてきた。
「その作品はどこが映画的ですか?」
とても鋭い質問だ。
役者や物語が魅力的なことも映画にとって大事な要素だけれどその作品のどこに映画ならではの魅力があるのかということは重要なポイントだ。
「1968年から69年にかけての時代風俗や社会現象を描いたジャパニーズ・グラフィティ的映画です」
こんな陳腐な答え方しかできなかったことが恥ずかしい。
映画を監督したくてウズウズしていた伊丹さんは「ぼくは千石イエスを題材にした映画を撮りたいんです」と嬉しそうに口にした。
当時は異端の宗教集団「イエスの方舟」がマスコミを賑わしていた。
「教祖の千石イエスと彼の女性信者たち10人が暮らす小屋の周りを囲んだ信者の親や兄弟が家族をとりもどそうとしてトタンの壁を外からガンガンと叩くんです。このシーンは映画的ですよ」
伊丹さんはニコニコしながら語ってくれた。
それから6年後の1984年。
51歳の伊丹十三さんは数々の映画賞を受賞した『お葬式』で華々しく監督デビューした。
物語も役者も魅力的だったが映画ならでは語り口の魅力にあふれていたことは言うまでもない。
この続きはまた明日。
たった一つのアイデアだけでみごとな傑作が生まれた。
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