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スパイの孤独…日常との格差に感じる孤独。
「Are you spy?!」
私が…?
スパイ?
声をかけてきたのは近所に住む顔見知りのKevinだった。
平日の昼下がり、モスマンワーフのカフェでいつものようにスキニー・ラテをテイク・アウェイし、光り輝く美しいハーバーを背に、バス停の傍らでスマートフォンに見入る私は確かに怪しい。
国境が閉鎖されたコロナ禍でも数回にわたり長期で日本とオーストラリアを行き来したことも怪しく思えた理由のひとつだろう。
思わず笑い、
「How did you know that?」
笑顔で応じる。
実は知人からスパイの疑いをかけられたのは今回が初めてではない。
スパイに見えるような人物はスパイではないのだろうが、映画などに出てくる、何をしているか分からない怪しい人物像を私が醸し出していたのかもしれない。
あるいはブログの投稿に注力していた私の顔つきが少し険しかったからなのか…。
コロナ禍の終わりに、ふと「日常が戻ったがゆえの孤独」について考えていた。
深く傷ついた者にとっては、周囲の日常に、明るさに、溶け込めない己の「心の闇」にいたたまれなさを感じることがある。
コロナ禍で多くの命が失われた。
それは感染症に限らない。
ガン、脳梗塞、脳内出血、心筋梗塞、自殺…。
大切な人を失い負った心の傷は、コロナ禍が収束しても癒えるものではない。
大病を患い、今もリハビリに苦闘する人たち、それを支える家族もあるだろう。
どれほどの人が仕事を失くし、経済的な困難に陥り自分らしさを失い、苦悩の日々を送ったことだろう。
活躍できない自分の無力さに「役立たず」と感じる虚しさは、崖っぷちを歩く危うさのようなもの。
心の深淵に落ちないように、目指す高みを見据えれば足を踏み外す危険を伴い、足元ばかりを見ていれば谷底の恐怖に足がすくむ。
せめぎ合う己自身の精神との戦い。
周囲でも、多くの人が亡くなった。
世界が変わり、私は仕事の大部分を失った。
自分のアイデンティティーを失った…。
世間は平静を取り戻し、一見当たり前の日常が戻ったかに見える。
しかしながら大きな何かを失い傷ついた者には日常が辛く苦しいこともある。
孤独に陥ることもある。
それは日常に取り残された孤独。
周囲が普通だからこそ感じる憤り。
何事もなかったかのように過ぎて行く日々。
大切なものを奪い去ったあの狂った世界がなかったかのように…。
日常に戻ったフリをし、周囲に溶け込む努力をすれば、己自身への嘘に疲弊する。
自分の心に無理をさせないこと。
昔にも、もっとずっと多くを失ったことのある私は、自分の心に寄り添い、語る。
今は治癒と癒しの時。
傷が深いほどに時間はかかる。
心の傷も体の傷と同様に、魔法のように突然消えることなどない。
流れる血が止まっても残る痛みは、時間と共にゆっくりと癒えていく。
そうしていつか必ず傷は癒える。
大丈夫。
あの時大丈夫だったのだから、またいつか自分を取り戻す瞬間が来る。
傷の深さほど多くを学び、成長した自分を誇らしく思う時が来る。
今は大丈夫なフリをしなくてもいい。
皆ひとりではない。
多くの傷ついた人たちが世界中にいる。
心に寄り添う人たちがたくさんいる。
時間をかけて癒したなら、慈悲の心でいつか誰かの心に寄り添う時が来る。
マイノリティーの孤独を理解し、そっと寄り添う。
傷の数ほど優しい世界が実現する。
心の傷が未来の世界に豊かさを生む。
コロナ禍の終わりは、優しい世界の始まり…。
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![ミシェル・フナコスキー](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/104411228/profile_982659fa419889ded93d9b1beca542b2.png?width=600&crop=1:1,smart)