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ウクライナ、ロシア、戦争、核 - その本質



肉片
死臭
飢え
痛み
苦しみ
悲しみ
怒り
憤り
恐怖
別れ

後悔
心の傷
後遺症
 
 
 
多くの痛ましい現象がそこにはある。
 
 
 
「戦争」と聞いてこれらの本質を感じる者がどれほどあろうか。
 
 
 
人類の世界が複雑化し、新しい言葉が次々に生み出された。
 
そしてこれら「言葉のパッケージ」により本質が薄れ、またパッケージ同士の掛け合わせにより世界全体が曖昧になっている。
 
 
 
「核」
 
大量虐殺
放射能
汚染
後遺症
理不尽
喪失感
自然破壊
食物汚染
不毛の地
健康被害
 
 
 
言葉の本質に何があるのか想像し、感じてみれば、それが決して受け入れることのできない現象であると理解できるはず。
 
 
 
放射能、放射性廃棄物、これらの処理について未だ解決策を持たない我々にとって「核」の使用はいかなるものなのか。
 
火には水。
制御可能なパワーならばいかばかりかの利用も良かろう。
 
制御の効かない偉大なるパワーに魅せられ翻弄される我々にとって「核」は、決して開けてはならないパンドラの箱に思えてならない。
 
 
 
私が核兵器も原子力発電も「開けてはならぬ箱」だと感じる理由はただ一つ。


 
放射能の中和あるいは循環ができないことだ。
 
 
 
「核」の使用は、制御の効かない怪物を無理やり鎖でがんじがらめにし飼い慣らそうとしているようなもの。
いつ噛み殺されるかも分からない怪物を、ビクビクしながら世界中に抱えているのが我々愚かな人類の現状だ。
 
 
 
「平和」
穏やか
安堵
幸せ
家族
満たされた心
心の安定
友好

笑顔
創造
 
 
 
文頭に戻りもう一度一言一言を噛み締め、感じながら読んでほしい。
 
我々が本質的に求めるものが何であるのかが明白であることに気づくだろう。
 
世界で唯一の被爆国に生まれた我々には、世界の誰一人として反論はできまい。
なぜなら我々は唯一の「犠牲者」であるからだ。
 
日本人には#noNukesを発する「権利」があるのだ。
いや、それはむしろ被爆国にできる「責任」であるのかもしれない。

怪物に噛み殺される前に…。
 

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