迷惑をかけあえる関係性があることで、自然体、その人らしさが溢れる。
こんにちは。美月です。
最近、書きたいことや伝えたいことが溢れていてnoteを書くことが楽しいです。自然体の自分とつながると書こうとしなくても書いてしまう不思議。
書かなきゃ!と思っていた時はあんなに書けなかったのにね。
さて、今日は迷惑をかけあえる関係性があることで自然体になれるよ、という気付きをシェアします。
先日、仲間6人で「語らい合宿」と題し、那須へ旅行に行ってきました。
その時に感じたのが、「迷惑をかけあう関係性っていいなあ」という気持ちでした。
旅行は好きで度々行くのですが、大抵の場合帰宅したあとは数時間から1日疲れて何もしたくないんですよね。でも今回は、帰宅後に料理をつくったり荷物をすぐに片づけたりする元気が余っていました。
そのことに驚いて、なんで今回の旅行はこんなに元気が有り余っているんだろう、と考えてみました。
たどり着いたのは、「信頼して迷惑をかけあえる仲間」だったからかもなあ、という結論でした。
たとえば、今回7人乗りのレンタカーで行ったのですが大きい車を運転できる人がいなくて、運転が上手なもんさんに2日間任せっきりだったこと。
6人とも普段から他者へ気遣いができる人たちなので、運転してもらっているのに寝るのは失礼だ、といつもなら寝たりしないであろう人たちだと思います。
でも、この仲間は「どんな自分でいても大丈夫」という信頼があるからか、帰路の道中、後部座席はみんな気持ちよく爆睡。
心地よく「あるがまま」でいさせてもらってました。
他にも、宿の手配やレンタカーの手配は、情報を比較検討し最適解を見つけ出すのが上手なけんけんがすべて取り仕切ってくれたこと。
これも全員、けんけんの能力にみんな頼りっきりで当日までほとんど何も確認せずに「楽しみ」という気持ちだけで居れました。信じて任せる。信頼しきっていた証拠ですね。
宿はエアビのようなスタイルだったので、食事は手料理。
これも料理が好きなわたしや理沙で食材を切ったり、炒めたり。
料理をしているあいだ、けいちゃんめいやっちはテーブルにホットプレートやお皿を準備したりしてくれました。
アスパラきのこ炒め、栃木牛にとろけた…。美味しかった~!
お笑い好きのめいやっちが(わざとじゃないにしろ)、真面目な会話をしながらの鼻ティッシュ噴射術で笑かしてくれたり(笑)、そのティッシュ噴射術に爆笑していた理沙につられてみんな笑顔になったり、渓ちゃんが「ここ行きたい!」とお洒落なハーブ園やお寺を提案してくれて旅の行き先が決まったり。
みんなで語らいたくさん寝た翌朝に理沙が気持ちよく歌っている、その綺麗な歌声にみんな癒されたり。
そうやって、それぞれがやりたいこと、できることをしながら、足りない部分は補い合って過ごした時間でした。
自分ができないことは、得意な人に任せてほどよく迷惑をかけあって、共通体験を創りあった時間がとっても、とっても心地よかったです。
迷惑をかけても、わがままでいても大丈夫。
その時々で湧いてくる感情を、衝動を溜めずに表現しあえるつながり感。
この感覚で居られる関係性だったからこそ、まじめに語ってふざけあって、おならをして爆笑して、お腹を出して寝て。それぞれが自然体でリラックスした時間でした。
途中寄った那須どうぶつ王国でも、「わたしマヌルネコみたいから行ってくる~」「わたしたちペンギン見てくるね!」など、それぞれが自分が観たい動物を観て1回自由行動になりばらばらになるんだけど、あわせていないのになんとなく同じ場所でランチを食べる調和感に密かに感動していました。
そこには「同じであらなきゃいけない」という空気感はなく、
でもゆるやかに、自然に調和していく流れがありました。
自由と調和が混ざり合った関係性に感謝しかありません。
「他人に迷惑をかけてはいけません。」
小さい頃から和を乱さないように、自分のことは自分でするようにと散々教えられて育ったけれど、おとなになった今、必要なときに迷惑をかけあえる関係性がいいよなあと思うのです。
みんなと同じことが良いことだ。そうでないことは迷惑でわがままだ。個性や違いを表現してもいいけれど、世間が認める枠の中で個性を出せというダブルバインドにわたしたちは葛藤する時代に生きているような気がしています。
「個を活かす」と「和を重んじる」のあいだで揺らぐわたしたちが勇気をもって自己表現しても、受け取ってもらえない、聴かれない体験が積み重なると、「どうせわかってもらえない」という無力感を生み出し、自己表現することは迷惑なんだという呪縛になっていく。そして自分のままでわかりあうことをあきらめてしまう。
でも、わがままを言いあってもいい、迷惑をかけあってもいい、という関係性が紡げたなら。
やりたいこと、やりたくないこと、好きなこと、嫌なこと…それぞれの個性っていうのはたぶん、必死に見つけようとしなくても自然と溢れるんじゃないかなあ、と思うのです。
だからわたしは、肩書とか何をしているかで評価されるような関係ではなくて、なんだかここではホンネが出ちゃうような自然体であれる関係性を扱っていきたい。
迷惑をかけあっても、同じじゃなくてもいいじゃない、という居場所をもっともっと拡げていきたい。
そんな自分の純粋な想いがあらためて言語化された旅でした。
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