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インサイド・ヘッド2に学ぶ、自分を誤魔化さずに生きるためのヒント

こんにちは。みづきです。

台風一過で今日の神奈川は38度・・・。もはや、熱じゃん、と日中の引きこもりを覚悟してnoteを綴っている今日です。

さて、今日のテーマは「自分に正直に、自分を誤魔化さずに生きるためのヒント」についてのブログです。

ありのままで生きたいと願う人は多いけれど、実際にありのまま生きている人は少ないですよね。

自分に正直に、自分らしく生きると言っても、なんだか抽象的でピンとこない・・・。

そんな方向けに最近観た映画や体験をもとに感じた、自分らしく正直に生きるためのヒントをお届けします。


「インサイド・ヘッド2」は人間心理を学ぶ重要な映画だった

先日、ピクサーが公開した「インサイドヘッド2」を見てきました。インサイドヘッド1が面白くって大好きで、今回は公開初日に映画館へ足を運びました。

具体的なシーンはぼかすものの、ここからは内容のネタバレを含むので、観るのを楽しみにしている方は読まないでくださいね。

インサイド・ヘッドは、ざっくり言うと主人公ライリーの頭の中にある“感情の世界”を舞台に、感情たちが大冒険を繰り広げる物語です。

新作では、「ヨロコビ」「カナシミ」「イカリ」「ビビリ」「ムカムカ」などの基本的な感情に加えて、主人公の成長と共に現れる「シンパイ」「ハズカシ」「ダリィ」など新しい感情のキャラクターが登場します。

新しい感情の登場 出典:https://natalie.mu/eiga/gallery/news/585273/2379688

いやあ、この多様な感情たちの登場がまた面白い!

主人公は思春期の少女ですが、大人がみても「こういうときあるある~」と思ってしまう普遍的なシーンがいくつもありました。

インサイド・ヘッド2では、新しい感情たちも加わって主人公ライリーを幸せにするためみんなで協力するかと思いきや、大人になる過程で現れた新しい感情シンパイたちが「ライリーにはもう、あなたたちは必要ない」とヨロコビたちをビンの中に閉じ込め“感情”にフタをするシーンが描かれています。
そうすることによってライリーは、自分らしさを失い、大好きな友達と距離を起き、自らの承認欲求を満たすための選択を重ねていきます。
そして映画の後半では、恐れと不安がピークに達し、アイデンティティが崩壊することでパニックに陥るシーンも。

大人であっても決して「思春期はこういうことあるよね~」と他人事で見ていられないようなそんなシーンばかりでした。

今回インサイド・ヘッドで印象的だったモチーフが「自分らしさの花」。
自分らしさの花はこれまでのライリーの体験の記憶と感情の積み重ねで育っていきます。
おそらく、抽象的でわかりにくいアイデンティティという概念を花として表したのもピクサーの粋な表現。

インサイドヘッド・2が好きすぎて話が脱線しましたが、「自分を誤魔化さず正直に生きる」ためには、この自分らしさの花に自ら水を与え育てていくことこそがとっても大切だと思うのです。


信念の泉 出典:https://moviewalker.jp/news/article/1209481/image13333240/

「あなたらしさ」は、これまでの人生経験と感情に詰まっている。

では、自分らしさの花を育てるとは何をすることなのか。

インサイド・ヘッド2からの重要な学びは、「感情差別をしない」ことだと思います。

大人になる過程で生まれた感情「シンパイ」は、いくつものこうなるかもしれないという未来のシミュレーションをすることでライリーを導いていきます。

その結果、ヨロコビやカナシミを排除し、「失敗しないための最善の選択」をライリーに提示していきます。

こういう風に描くと、「シンパイ」の感情が悪者のようにも見えてきますが、実は「シンパイ」もライリーを守るために存在している重要な役割なんです。

わたしも、自分自身がパニック障害になった経験があり、まだ起きていないことへの不安や焦りがつよい方だったのですが、
ネガティブな感情との上手な付き合い方を体得してからはすこぶる生きるのが楽になりました。

そして、感情の本来の役割や意味がわかるようになると、自分の人生そのものが愛おしくなります。

先日、自分の中にある真実を語り合う対話の場に参加しました。

それは、「怒り」「哀しみ」「無力感」「恐れ」の4つの感情が湧いてきたら湧いてきたままに場に出していくという対話の方法でした。

緑がうつくしい和室での対話

最初は、「うーん、何か湧いてくるかなあ・・・」という半信半疑でいたのですが、他の参加者たちの中にある真実の感情に触れるうちに、自分の中にもある「怒り」や「無力感」が湧いてきて、自然と涙があふれました。
(グループだからこその相互作用のチカラ、すごい・・・!)

でね、最後にこういうクロージングがあったんです。

怒りの声を聴いていたとき、
わたしたちが耳にしていたのは正義や公正さを求める情熱でした。

恐れの声を聴いていたとき、わたしたちが耳にしていたのは勇気でした。

哀しみを聴いていたとき、そこにはがありました。私たちは自分が本当に大事にするもの、愛しているものが壊れたり、無くなってしまったとき、哀しさを感じます。

無力感、空っぽの器。ここで語られていたことは、可能性でした。
自分の中に何もない空間があるのを自覚したとき、私たちはそこからまた新しい何かが生まれます。

すべての感情は、表裏一体です。

怒りの裏には情熱があり、哀しみの奥には、愛があります。
怒りがあるから情熱が生まれ、情熱があるから怒りが生まれるのです。

わたし自身も、なぜ自分がそこまでの情熱をもってつながりの学校を創立したかと言えば、小学校のときの不登校の経験が原体験にあるから。

大好きだった学校に、行けなくなったときの悲しさ。

自分として存在しているだけなのに、輪に入れてもらえなかったことへの怒り。

そういったネガティブな感情を誤魔化さず、蓋をせずに自分自身が受け取ったからこそ、その奥にある情熱や愛、希望につながり、自らの生きがいがわかりました。

だからこそ、感情を選り好みせず、誤魔化さずに生きることで自分が心から願っていること、やりたいことへの新たな可能性がひらかれていくことを信じて誰もが唯一無二の自分を表現して生きるための学校を運営しています。


一方で、大人になる過程でわたしたちが感情に蓋をする理由のひとつに、
「相手を傷つけてしまうのではないか」という恐れがあります。

そして、相手を傷つけないために、自分の感情に蓋をする。
それもひとつの愛の表現だと思います。

わたしはかつて、些細なことで怒鳴る父と暮らしていた経験から「感情を表に出すと人を傷つけてしまう」と学習し、いつでも冷静で振舞うような性格でした。その結果友人からは「ニュートラル美月」と言われたこともありました(笑)
(現在は動物的だよねとか、熱量ある人だよね、と言われるようになったので人って変化するんだなあと感じます。)

偽りという言葉は「人の為」と書きます。

「誰かのために」と思った時点で、半分は自分に対する偽りになっていることがあります。それを自覚していることが大事だと思うんです。

「相手を大切にしたい気持ちもある。でも、ほんとうはこう言いたい気持ちもある。

この両方を受けとめ、大切にすることで新たな可能性にひらかれていきます。

ふたつで、ひとつ


わたしは、個人的なニーズを追究すれば、必ず普遍的なニーズにつながることを信じています。

自分を優先するか、相手を優先するかで迷うときは、ここに立ち返るようにしています。自分に蓋をして相手を優先するのではなく、自分の我を押し通すわけでもない。

どちらも大切にするという気持ちを大切にしながら、自分が感じている真実は手放さない。無いことにしない。

自分が感じる衝動や欲求に正直に従う。直感や違和感を信じる。それが、結果的に自分の源とつながり行動や選択につながっていくから。

自分に正直に生きたいのなら、まずは「自分に湧いてくるすべての感情があっていいよね」の地点に立つことがスタートだと思っています。

自分に正直な人は「変な人」扱いをされる

自分に正直に生きるとは、ニアリーイコール、他者に迎合せずに生きるということでもあります。「みんながそう言っているから」といって、容易に主流派の考えや価値観に賛同しないこと。

それは時に「違い」を浮き彫りにします。
その場にいるほぼ全員が「わかる~」「そうだよね~」という場で、
「いや、わたしはそうは思わないけどな」
という発言をしたとき、場がヒヤリとする場面が出てきます。

かの有名なイノベーションの巨匠、スティーブ・ジョブズはこう言いました。

「Think Different(違う考えを持て)」

それは言い換えると、「変な人であれ」ということでもあります。
わたしたちは、多くの場合、他者の目を気にするがゆえに、自分に正直にいられなくなることがあります。

「周りのみんなはもう出産して子どもも生んでいるのに、わたしは何をやっているのだろうか・・・」

「わたしの個人的な考えや感情を持ち出して、理解してもらえるのだろうか・・・」


自分に正直な人生を歩むということは、このような不安と隣り合わせです。

わたしが他者からの視線を不安に感じていた時に、励ましと希望をくれたのが英国のシューマッハ・カレッジで出逢った恩師サティシュ・クマールの言葉でした。

「Celebrate your uniqueness.(あなたの個性をお祝いしよう)」

サティシュの言葉

そう。違いは個性なんです。

日本人は同じであることに仲間意識をもって協働してきた民族なので、違いに対する耐性があまりないかもしれません。

だけど、自分に正直に生きるということは、結局は個性を生きるということ。
そして個性を生きるというのは、「ほかの人と自分は異なる存在であっていいんだ」ということを祝福することです。

わたしは小さい頃に仲間外れになった経験があるので、
仲間外れになることへの恐怖心は人一倍あります。

そんなわたしでも、自分と向き合うこと、仲間と共にいかしあうことに取り組んだ結果、現在は自分らしさとつながりの両方を実現することは可能だという確信があります。

自分らしさも、相手らしさもどちらをも祝福し、いかしあう。

自分の個性も、相手の個性もどちらをも祝福し、いかしあう。

そんな願いを込めて育んでいるのがつながりの学校という6か月間の内省と表現のコミュニティプログラムです。


つながりの学校では、「唯一無二の自分を表現して生きよう」をビジョンに、それぞれが自分とつながり、他者とつながるを実践していきます。


それぞれが自分の源につながって生み出した和菓子
自分だけのオリジナルな歌をつくる
感じたことを絵で表現する

もし、これを読んでいる方で自分だけの唯一無二の人生を紡いでいきたいという想いのある方は、ぜひ8~9月限定で開催している体感ワークショップに
いらしてください。

自分に正直に、かつ、つながりを大切にしたいと願う仲間が集っているので、優しく力強い場です。

みんなが個性溢れていて、誰もが変人の場に身を置けば、変人という概念は無くなります(笑)

自分に正直に、誤魔化さずに生きていきたい人たちにこそ届きますように。

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