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内省ばかりしていても、人生は変わらない。

ーーーー「自分が心からやりたいことがわからない」。

ゆたかな時代になったからこそ、
そんな風に悩む人は多い。

「自己理解」と聞いて、あなたはどんなことに取り組んできただろう。
自分を16タイプで診断したり、生年月日から特性を紐解いたり、
好きなことや嫌いなことを棚卸したり、過去の経験を遡って共通点を見出したりしたのではないだろうか。

わたしも自己理解オタクと自称し、この3年は自分の内面を見つめる長い長いジャーニーをしてきた。

そこで気付いたこと。それは、

自己理解をするだけじゃ、人生が変わることはない。

という結論だった。

先日、あらためてその理由がはっきりとわかる体験をした。


『あなたの"喜び"を歌にするワークショップ』

先日、つながりの学校ゲスト講師とのコラボ授業として「喜びを歌にするワークショップ」を開催した。

一緒に企画してくれたのは、コーチ仲間であり、ボイストレーナーのケイさん。

ケイさんとはコーチングスクール(CTI Japan)が同じで、ご縁をいただいてからかれこれ3年の仲。
一緒に年越しそばを食べて、紅白をみてゴロゴロしたり、わたしの大事な節目に応援しに来てくれたりと頻繁に会うわけではないけれど、ずっとつながりを感じている親戚のような関係性である。

このワークショップ企画自体は4月末に話があがり、
ケイさんが小田原に引っ越すということが決まった矢先だったので、

「せっかくなら海の日×海の街で開催しよう!」

とめでたく小田原での開催が決定した。

ケイさんは27年間ものあいだバンド活動をやっており、今をときめくMrs.GREENAPPLEのマネジャーを務めるくらい、音楽とともにある人生であり、

わたしはMr.Childrenが心の支え&人生のマネジャーであり、音楽に救われ、応援されてここまで生きてこれた人生だった。

そんな音楽への愛とタイミングで今回のMrs.ケイ×Mr.みづちるのコラボセッションが叶った。(無理やり感・・・苦笑)


聴きあうことで、未知なるわたしと出逢う

午前中のパートでは、様々な自己理解ワークを用いて自分の心に響くワードを紡いでいった。

・お気に入りのマイソングからその人が人生で大切にしていることを聴きあうワーク
・問いのカードを用いて感情にまつわる対話をするワーク
・人生の物語を振り返り、具体的なエピソードから感情MAP作成するワーク

最初のワークから感極まって涙し深まっているグループもあり、
他者という存在をもって聴きあうことのインパクトを実感する時間だった。

自分1人でノートに書いて内省するジャーナリングや
問いがすでに書き記された自己理解ノートのようなものが流行っているけれど、やっぱり「存在の力」には敵わない。

自分がマイソングのどんなところに響いたのか、
どんな歌詞が好きなのかを語ったあとにそれを聴いてくれたメンバーからもらう言葉のギフトはどれも自分の気づいていなかった、だけど確かに大切にしていた本質を捉えていて、他者から言葉をもらうことでまた心があったかくなる。

この感覚は1人で内省していても味わえない。かけがえのない時間だった。

内省して、対話して、内省して、対話をする。

自分の感覚を感じて、対話で深めるそのプロセスが味わえるのもワークショップならではの時間で愛おしい。

学校の勉強や会社の研修のように、講師が何かの領域の知識を語ったり、伝授したりするのではなく、
ひとりひとりの中にある創造性に目覚めるきっかけづくりをしていく。

それがわたしが大切にしている場づくりの思想であり、教育の本質だと思う。準備は毎回地味に大変だけど、そんな想いが現実として拡がっている光景を見ると、心が満たされ準備の大変さはどこかに吹っ飛んでしまった。

自分の中の"真実"を、言葉に紡ぐ

自己理解ワークを通じて、それぞれの心に響く言葉の素材が集まってきた。
いよいよ午後からは素材を調理し、歌詞にしていく創造フェーズ。


はじめに、ケイさんは言った。

「あなたの中にある真実を歌にしてください」


ーーーーわたしにとっての、真実とはなんだろう。

沈黙のあいだ、それぞれに問いが突き刺さる。

頭で歌詞をつくろうとすると、ついつい耳障りの良い言葉を並べてしまう。午後からファシリテーターの役割を降ろし、イチ参加者として歌詞づくりに加わったわたしも、まさにその罠にハマりもがいていた。

「今日はこのメロディーに言葉を当てはめてもらいます。まずは音を聞いてみて」

と、ケイさんが奏でるアコースティックギターの音色が空間に鳴り響いたとき、わたしの中で湧いてきたのは、放課後の教室の風景だった。

***

わたしは小学4年生のとき、不登校になった。

地元の中学校には進学したくないというわたしに、母は「高尾山学園」という学校を探し出し、提案した。高尾山学園は、不登校の生徒を集めた八王子市立の中学校だ。

当時電車に乗って通うのはしんどかったけど、それでもわたしは自分のことを知る人がいない場所に行きたくて、高尾の山奥まで通うことにした。

行こうと思ったけど途中で行けなくなったり、やっとの思いで登校してもすでに下校時刻間際になることもあった。

登校時間が何時になろうとも、いつだって先生たちは「よく来たね」とあたたかく迎えてくれて、話し相手になってくれた。

当時のわたしは学校に行ってギター片手に歌うのが好きだった。

簡単なコードしか弾けないし、歌も別に上手ではなかった。
だけど、誰もいない広い教室で歌う時間が好きだった。

ある日、そんなわたしの隣に、教頭先生が来た。

教頭に見つかった。なんか言われたらいやだな、という一瞬の緊張感を他所に先生は意気揚々と教室に入った。

「おっ、いいじゃん~!なに〜ギター弾けるの?俺も一緒に弾いちゃおう~!」

白髪まじりの髪の毛とはうってかわって
子どものようにクリクリとした目をした表情ゆたかな教頭先生だった。

先生は昔バンドを組んでいたことがあるらしく、
エレキギターを持ってきて、わたしの歌に合わせて弾いた。
「あの歌知ってる?」「この曲は?」「なんのバンドが好き?」
などと、矢継ぎ早に聞かれながら音楽について話し合った。

世代が違うから先生の好きな曲はほとんどわからなかったけれど、
先生が好きだと言ったLOVE PSYCHEDELICOの曲をいくつかiPodにダウンロードしてプレイリストに入れた。

趣味を通じて歳の離れた友達ができたようで、嬉しかった。

それからは時々、先生とギターを弾いて歌う放課後ができた。
先生はドラムができるという若い女性の先生を連れてきて、
あっという間に3ピースバンドが結成された。
レクリエーションの会でスピッツのチェリーを演奏したあのドキドキ感と充実感をいまでも覚えている。

当時のわたしは、学校が好きじゃなかった。
不登校児である自分が嫌いだったし、みんなと同じことができない自分に対して、どこかうしろめたさがあった。
地元の同級生と遭遇するのが怖くて、コソコソと暮らしていた。

だけど、あの学校の先生たちは、生徒を「不登校児」としてではなくひとりの人間として関わってくれた。

好きなものを尊重してくれたし、やりたいことを応援してくれた。

それなのにあの時は、声を大にしてあの中学校に通っていると言いたくなかった。不登校の学校に通っている自分が恥ずかしかった。

あの時は、先生たちに十分に感謝も伝えられなかったかもしれない。

だけど大人になった今。
高尾山学園の先生方には深い感謝が湧いている。

あの学校のおかげで、いまのわたしがいる。

***

そんな過去の記憶が、ケイさんのアコギの音と共に蘇ってきたのだ。

だけどわたしは、迷っていた。

歌詞づくりは文字数が限られ、ここまで詳細に背景を伝えることはできない。

「いきなり中学の時の個人的なエピソードを歌にして、大丈夫かな」
「なにそれ?ってみんなに思われないかな」

そんな不安な声も聞こえてくる。

だったらいっそこの方向性は手放して、
他にも湧いてきた(みんなに受け取ってもらえそうな)イメージで進めたほうがいいんじゃないか・・・・?
・・・でもそれって本当にわたしの真実なんだっけ?

内側で色んな声が錯綜し、わたしは産みの苦しみのループにハマっていた。


そんなとき、参加者のひとりこずちゃんが言った。

「なんか、イイ感じの詩はすでに完成しているけれど、置きに行っている感じがして、もうちょっとチャレンジしてみようかと思った。」

それを聞いて、わたしもまさに「自分自身が置きにいこうとしている」ことにハッとした。


綺麗な言葉を並べたいんじゃない。
誰かに賞賛される歌を歌いたいんじゃない。

わたしは、内側の真実を歌にしたいんだ。


だから、わかられなくてもいい。伝わらなくてもいい。
メロディーを聴いて湧いてきたあの教室でのシーンを歌にしよう。
それこそがわたしのルーツであり、オリジナリティなんだから。

「決断する」というのは、ある種怖いことだ。
何かを決めるということは、同時に何かを選ばないことでもある。
安牌を手放し、自分にしか聴こえない真実に委ねてみる。

湧き出て、並べて、迷って、手放して、拾って、もがいて・・・。
短い時間でも何かを生み出すプロセスは楽しいばかりじゃないことを実感した。

どの声が、自分のほんとうの真実なのか。

注意深く内側を感じないと、間違えてしまう。

気づかぬうちに、良さげな言葉を置きにいこうとしていた。
気づいたから、置きにいくことはやめることにした。

これで方向性は定まった。

わたしは1人で悩むのをやめて、ケイさんにサポートをお願いした。
ケイさんに当時の学校でのエピソードや想いを伝えていると、涙が溢れた。
わたしは内側の真実に近いほど、琴線に触れ、涙が溢れることを知っていた。

震える心が、「こっちでいいんだよ」と教えてくれた気がした。

そうして出来上がった歌詞は、中学校の先生への感謝を告げる歌となった。

タイトルは、「先生、ありがとう」。
紆余曲折ありながら最後には、内側の真実を表す大切な歌が生まれてくれた。

恥ずかしさというエッジを、超えていく

実は、今回この場をわたし自身が体験するまでは
自己理解×歌の何が本質なのかが腑に落ちていなかった。

もちろん、ケイさんの想いを聴いていたし、わたしの音楽に対する熱量もあったので、絶対いい場になることは確信はしていたんだけれど。

産みの苦しみをも身をもって体感したいま、
やっぱり経験にまさるものはないなとしみじみと感じている。

今回のワークショップの最後には、それぞれが創ったオリジナルソングを
ちいさな舞台の上で披露する時間があった。

やってみて思ったのは、バンド活動などをやっている人でない限り、
人前で歌うことには「恥ずかしさ」がついてまわるということだ。

「え!一人ずつ歌うんですか!創るだけだと思った」
「緊張する~~~~!!」

という声と共に、全員がみんなの前で自らの歌をお披露目した。

この「恥ずかしさ」を超えることがメインディッシュであり、重要なポイントだった。

「恥ずかしい」と感じるということは、
いつもの自分ではやらないことをやるということだ。

つまり、みんなの前で歌うという行為は
恥ずかしさを超えて、ちいさく自分の殻を破るということである。

歌ったあとのみんなの表情は、まるでサウナでととのった時のような、少し頬がピンクに染まる高揚感のある顔つきだった。


出し切った!!!


上手く言葉ににならないけれど溢れ出るエネルギーの感覚を感じた、
一体感のある場だった。

人は結局、身体をともなった体験でこそ、深いところでの気付きが起こり、前に進むことができる。

あらためて、自己理解×アートワークの可能性を感じた瞬間だった。

プログラムの最後には、Mr.Childrenの「終わりなき旅」をBGMに、輪になって湧いてきた言葉を音に乗せた。

その頃にはみんな言葉に、言葉以外のエネルギーを乗せて放っていた。


人前で歌を歌うことが苦手な僕とってはハードなワークでした。 自分と向き合い、出てくる言葉をメロディに乗るような歌詞として表現する。つな学のメインテーマの音楽バージョン。 しっかりと自分と向き合い、出てきた言葉をケイ先生や周りの人に相談しながら、苦しみながら、なんとか出来上がった自分の生み出した歌詞。 それはとても愛おしい、愛すべき自分自身でした。 その歌は歌われなければならないと思いました。いつしか、どのように歌えば良いかという、表現の方向に思考はシフトして、人前で歌うことが苦手というイメージはすっかりなくなってました。

T・Sさん

みんなで同じメロディを聞いて、歌詞を作ったけれど、本当に様々な捉え方で、1人も同じ歌詞は生まれてこなかったし、出てきた歌がお世辞抜きで本当に全部素敵だなと感じて、大した事ないなんて思った歌は1つもなくて、とっても愛おしい気持ちになりました。
「私にもなにか生み出せちゃった!」というのはとっても嬉しい体験でした。クリエイティブな場ってとってもワクワクするな〜と思いました。

M・Tさん

We are all Artist.


夏のはじまりを告げるにふさわしい、とっても良い1日だった。


内省×表現で起こる気付きと変容の循環で人生がひらいていく

今回の大きなテーマは、
「自分だからこそ生み出せるオリジナルソングの創作」だった。

わたしが自己理解のワークを担当し、自分とつながる素材を集め、
ケイさんがその素材をもとに歌にする担当でワークの構成を考えた。

わたしは自己理解オタクであるけれど、これというわかりやすい創作の手段をもっていないことが少し前はコンプレックスだった。

例えば、お料理に夢中になれれば、美味しそう!美味しい!と受け取ってもらえる。

例えば、写真を撮ることに夢中になれれば、ぱっと見て雰囲気が伝わるしカタチにも残るから人に喜んでもらえる。

例えば、絵を描くことに夢中になれれば、絵をみただけでその人のもつ世界観が直感的に伝えられる。

一方、自己理解やコミュニケーションに夢中なわたしは、
ぱっとわかりやすく他者に伝えられる手段を持ち合わせていない。
場づくりというのは無形の世界であり、その人の体感をもってはじめて受け取ってもらえるものだから。

せいぜいこうして毎度7000字程度の言葉やワークショップの風景の写真を用いてほんのすこし伝わるか伝わらないかくらいである。

そんな自分に対するコンプレックスやもどかしさを感じていた時期もあったけど、
こうして志を同じくする仲間たちに足りない部分を補ってもらいながら場づくりができている今、
それ自体で喜んでくれる人たちと出逢えている今、
自己理解やコミュニケーションへの偏愛も悪くないな、と思えてきている。
(ほんと、関わってくださるみなさまのおかげさまです…!)

わたしが主宰するつながりの学校(6か月間の体感型自己理解プログラム)では、月に1度今回のような自己理解×アート(表現)のワークショップを開催している。

それは、自己理解を深めていった結果、やっぱり世界への表現なくして循環は起きないというところに至ったから。

ワークショップのチェックアウトでつながりの学校メンバーの1人が、こんな風に体験をシェアしてくれた。

「内省して自分とつながって出てきた言葉を歌にして歌うことによって、
それがまた自分に返ってきて気付きが深まる体験が面白かった!」

言葉を声に載せることで、体感覚が伴う。

本来、内側と外側は別々のものではなく、
精神と身体はつながっている。

自分の身体から発する声がフィードバックとなり、
内側での新たな気付きが起こるのだ。

アートの目的は、鑑賞することでも、表現することでもない。

アートは、心と身体の架け橋であり、
同時にわたし(内側)とわたしたち(外側)を結びつける。

だからつながりの学校では、「アート」と「対話」を用いて、自分とつながり、世界(他者)とつながる時間を創出している。

だから、アートは一部のアーティストのものじゃない。
アートは、日常のいとなみであり、仕事であり、人生そのものである。

だからわたしはつながりの学校で「アート」という手段も大切にしながら
自分と世界とをつなげる体験を届けている。

個人的な想いは突き詰めれば社会的な価値となり、
それは自分だけの表現ではなくなってゆくから。

詩人フレデリック・ビークナーが、天職のことをこう表現している。

天職 = あなたの深い喜びと、この世の必要が出合う場所

つながりの学校という今のわたしの天職も、まさに個人的な想いからはじまった生業であり、仕事であり、今となっては喜んでくれる人たちがいる大切な時間である。

自己理解を突き詰めた先にあったのは、わたしの内側に湧き出る泉のような想いであり、「こんな世界を創り出したい!」という願いだった。

自分から湧き出る源とつながったら、
あとはそれを世界に表現し、育てていく。

自分の内側にあるものを世界に表現してみると、世界からのフィードバックを受け取ることができ、さらに新たな気づきや体験が待っている。

そうやって、自己理解と自己表現を繰り返すこのサイクルこそが
つながりの学校で大切にしている変容の循環である。

対話やアートワークを通じて、生み出す喜び、表現する喜びに目覚めてほしい。

そしてその体験が、自らの人生をも紡いでいくきっかけになったらという想いで今日も場づくりをしている。

\最後にお知らせ/

7/28(日)「自分だけのオリジナルな人生のつくりかた ~シューマッハ・カレッジ留学から1年間のあいだに起きた人生の奇跡~」をリアル開催します!一度きりの開催です。こちらもぜひ✨
→終了いたしました。


つながりの学校を体感できる「体感de自己理解ワークショップ&3期入学説明会」を8/8(木)に開催予定です。
お気軽に遊びにきてください◎








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