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寒すぎてギリギリなので『サイレント・ワールド 地球氷結』を観てしまいました……6/n

僕は仕事の都合上月曜日が固定休なので、2025年は日曜日の夜に必ず映画を一本観ることを目標に据えてみた。

ということで、今年7本目の映画です。配信だと6本目の映画です。今回観たのは『サイレント・ワールド 地球氷結』という映画です。カナダとオーストラリアによるB級映画です。

これを観た経緯としては以下のとおりです。

前回の『デイ・アフター・トゥモロー』感想記事にも書きましたが、僕はポストアポカリプスものが好きで、かつ、最近雪国への憧れがますます強まっています。

なので、名作『デイ・アフター・トゥモロー』で止めておけば良いものを、『デイ・アフター・トゥモロー2018』や今回の『サイレント・ワールド 地球氷結』などに手を出してしまった、というものです。

あらすじをざっくり書くと、

地球温暖化のせいでオゾン層に穴が空いちゃった! 宇宙から冷気が流れ込んでくるぞ! 春のオーストラリアなのにマイナス70度だ! 主人公である気象科学者は、もうすぐ死の冷気が近づくビーチに学校をサボって向かっている娘を助けるために車で向かいます。娘を救出したあと、同僚のインスリンを探しながら、オゾン層を復活させるための策を模索する。

というような内容です。

出ました! 気象科学者!

しょうがないっちゃしょうがないですけど、気象科学者以外はないんか? と思ってしまいますね。でも、適切なものがそれしかない気もします。

『デイ・アフター・トゥモロー』は地球の冷気が強まる設定でしたが、今回は宇宙より飛来する冷気で凍ります。

ここがいかにもB級ですよね。すぐ宇宙から飛来させたがる。

まあでも、「宇宙って寒いの?」って思う人達がオーストラリアには少ないからこそ出来る話なのかもしれません。オーストラリア政府の教育政策がこの映画を可能にしたと言っても過言ではない。(アメリカじゃ無理そう)

この映画の良いところは、外の様子を映すシーンを徹底して少なくしていたところです。

当たり前ですが、ハリウッド作品である『デイ・アフター・トゥモロー』は、自由の女神を雪に埋めた状態や、半分雪に埋まったNYの摩天楼を映し出しています。そのスケール感が壮大なのが、『デイ・アフター・トゥモロー』を名作たらしめている要素の一つでもあるわけです。

対して、『サイレント・ワールド 地球氷結』は、カナダ、オーストラリア産なので、ハリウッドほどの予算はあるはずもありません。

そのため、CGはうんちです。毎回同じエフェクトで建物が凍っていきますし、冷気の表現は一貫して白いモヤのみです。

最初にオゾン層を復活させるために行った気球によるオゾン層の活性化シーンも、無地ツルツル気球コピペしまくり祭りでした。

あと、外国の映像は素材丸出しです。オーガニック系のカフェで出される野菜スティックくらい素材丸出しです。

そういった映像の弱点を制作側がわかっているからこそ、外の様子はなるべく映さず、室内シーンをふんだんに使用しています。

それで物語がギリギリつまらなすぎないラインをギリギリかすめることなく進行していくんだから、これはすげーことですよ。

なんでギリ保たれてるのか、僕にはわかりません。しかし、強いてあげるとすれば、「区切るタイミングが良い」ということでしょうか。

例えばこの映画はオーストラリアまで冷気が届くシーンまで約40分あります。しかし、冷気が人を襲うシーンは始まってから6分半で映されます。

そのため、観客はこの冷気がいつ人々に襲いかかってくるんだろうというハラハラを30分程保持したまま映画を見ることになります。

この時間がちょうどよいんだと思うんですよね。

これ以上長かったら「いや、長すぎちゃう?」と多くの人が思いそうです。しかし、実際はハラハラの種類がちょっとずつズラされながら街に冷気が襲いかかるシーンまで進んでいく。

この、シークエンスをちょうどよく区切ってくれる気遣いが、この映画をB級にとどめている最大の要因だと僕は思います。これがなかったら一気にC級ですからね。

ということで、『デイ・アフター・トゥモロー』を鑑賞した勢いそのままに『サイレント・ワールド 地球氷結』を観たわけですが、ここで終わっとけばよかったのに、僕はさらなる氷漬け系ポストアポカリプスものの森へと入り込んでしまうのでした……。

『デイ・アフター・トゥモロー2018』編に続く!



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