冬の呼吸は嗜好品
実家に帰省している。
実家の方は一人で暮らしているそれとは違いかなり田舎の方だ。建物より畑の面積の方が多い有様であり、道の電燈が極端に少ないので、夜には星がよく見える。空気も味が美味しい気がする。美味しいと言うよりは不純なものを極力減らしたオーガニックな味というべきか。オーガニックというと一気に胡散臭さが出てしまう気がする。(そんなわけはないのだが、私が斜に構えた性格であるので仕様がない。ご容赦されたし)
この空気の「味」、どうして田舎の方が美味しいと言われがちなのだろうか。空気に味があるわけねえじゃねえか。
しかし田舎の、とりわけ冬の空気は美味しいと言わざるを得ない。それぐらい心地よく口から肺に到達し、また帰っていく。澄んだ朝の空気なんかもう最高である。田舎の冬の朝はすごい。そこら中に嗜好品が漂っている。人間に必要不可欠な呼吸という仕草ですら趣味性の高いものに変えてしまうのだ。
まず鼻から吸うといい。口からだと後述するように肺いっぱいに空気を満たすことが出来ずかえって中途半端になる。
鼻の奥を超えて喉を突き刺すぐらい冷たい空気がかえって心地よく感じる。突き刺すような寒さが気持ちよさのキモだ。
そうしたら肺を隅から隅まで空気を吸い込んで満たしてやる。煙草と一緒だ。私はいわゆる携帯シーシャ程度しか嗜まないのでよく分からないが、紙タバコ愛煙家の諸君らではふかしタバコは(銘柄によるが)よろしくないと言うだろう。それと同じだ。口に含む程度では冬の真髄は出てこない。肺を塗り替えてやると言うぐらいの意気込みで吸わなくてはならない。そうしてようやく冬の恩恵を受けられる。
数秒肺に溜め、ゆっくり息を吐き、ぬるくなった空気とはおさらばだ。そうしてまた先述したように吸う。これを繰り返す。それだけだ。いくら吸ってもヤニクラにならない、素晴らしい嗜好品ではないか。
私は高校生時代、朝部活前の空気と夜部活帰りの空気を堪能することで一日を慰んでいた。本当に暗黒である。高校生という華々しい身分でありながら楽しみが冷たい空気を吸うことしかないなんて、相当疲労困憊していたのだろうし、実際していた。二三ヶ月休みがないなんてザラな部活に入ってしまったもんだから、そこに意思は介在せず、ただ部活のために飯を食い眠り歩いていた。呼吸だけが私の慰みだったのだ。
そんなつらい思い出はなかなか忘れることなどできはしないが、過去を省みつつ吸う今の冬の空気はそれはそれとしてなかなか乙なもんである。
なんだかんだ冬が好きである。