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グラフィックデザインとの出会い(5) 集大成は卒業制作

いよいよ、卒業が目前に迫った4年生。
「点」でこれやってみたいなぁなど、点点ではあるものの、点と点がなかなか繋がって線とならないまだなかなか没頭する事に出会えなくて苦悩の日々を送っていました。
夢中になれるものがないと言うのは、なかなか辛いもので、日々作品作りに没頭出来ている友人を見ているととてつも無く焦燥感に駆られていました。
人はひと、人と比べても仕方がないとは思いながらも、卒業を迎えつつあるわたしにとっては、この4年間何をして来たのだろうか、、将来はどうするの? 自分自身や親、その他色々な期待や不安の声が聞こえてきます。
そんな不安もとりあえず置いて、止まっていても仕方がないので、とりあえずモノを作り続けます。


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グループ展をやってみた

4年生も半分が過ぎようとした頃、ちょっと芸大生っぽいことをしてみました。
工芸学科で仲の良い人たち4人それぞれ金工・陶芸・染色・テキが上手く1人つづそろって京都の平安寺宮近所のギャラリーでグループ展を開くことに。
もうどんなタイトルだったかテーマだったか、すっかり忘れてしまいましたが、DMも皆でデザインを考えて印刷所へお願いして制作しました。
当時はまだデジタルカメラもなく普通にフイルムのカメラで記録を残すしか方法がなく、ちゃんと写真に残していなかったの悔やまれますが、たまたまそのグループ展に出展したわたしのつまらなくくだらない落書きが1つ出てきました。
すっかり忘れてしまいましたが、他の人はもっとちゃんとした作品を展示していたはず笑
場所柄落ち着いた雰囲気でとなりには確かギャラリーと同じオーナーさんが営む林檎のタルトが評判でそのついでに見てくださるお客さまもありました。両親も来てくれたかな。
搬入搬出いれて1週間。あっという間の展示でわたし自身は特に何か手応えとか、そんなモノはありませんでした。
そのギャラリーはもうありませんが、それでもいまも時々両親と一緒にその近くを通るといつもその話になり、いい思い出となっています。

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卒業制作はシルクスクリーンを使って大作を目指す

ほどなく卒業が近づいてきて、芸大生としては4年間の集大成、卒業制作に取り掛かる季節がやってきました。
もちろんわたしはシルクスクリーンを用いた大きなタペストリーを計画します。
当時、魚釣りが好きで良く行っていて、キャンパス内にも池があり時間を見つけては竿を振っていました。ブラッドピットが主演するロバートレッドフォード監督の「A river runs through it」という映画にハマりフライフィッシングに傾倒していました。
自分で毛針をつくりそれで魚が釣る、という発祥は恐らくイギリス王室のリクリエーションとして発展し、綺麗な川で綺麗な鱒を釣るという、とても高尚な技法。

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それを題材にした小説も国内外問わず数多く、井伏鱒二氏さんの作品などもその一つで良く読み漁りました。
わたしの作る作品もまた、それに影響を受けたものが多く、魚を題材にしたものが多かったのです笑
よく友人と連れ立って山奥のまだ見ぬ沢を探すべく彷徨いました。山奥の水はとても冷たくまるで水がない様に澄んでいます。それをジンのように透き通った川「ジン・クリアウォーター」と呼ぶそうです。なんて素敵な言葉なのでしょう。
しかし日本の自然河川はとにかく魚がいない。わたしが想う理想の釣り場、あらゆる鱒が所狭しとひしめき合うわたしの思い描いた「川」を作品にしよう。
ほぼ背景が埋まるくらい魚がひしめき合い、あらゆる品種の大物、小物が入り混じる。
タッチはビュッフェ調で輪郭が力強く隙間には毛針が流れている。ジンクリアウォーターなので水の色はない。
それを横にリピートをつけて幅を6メートル、縦は2メートル、そして刷色数は8色。
そんな大作を画策したのです。

とにかく大きいものを創りたい

1枚、横1.2メートル×縦2メートル。それでは版が大きすぎるので、さらに縦を1/2にして横1.2メートル×縦1メートルにし、上下にもリピートがつくように作画。
8色刷りなので版を8枚用意しなければいけないのですが、そんな大きなスクリーンの枠はあまりなく、かと言って買い揃える予算もない。そして、そんな大きなサイズを製版機はわたしの専攻コースには置いていない。

う〜ん、と、教授に相談すると「グラフィックデザインコース(通称:グラ)に大きいのがあるで」、「枠も貸してもらえるんとちゃうかな」と心強いお言葉。
キャンパスは学科で建屋が分かれており、サークルでも入っていない限り、他の学科の人と知り合う機会はほとんどなく、帰宅部だったわたしはほぼ同じ工芸科の建屋の友人しかいませんでした。

テキの教授を通してグラの教授に掛け合って頂き、大きな写真製版機を晴れて使える様になりました。それはバキューム式のもので空気を吸い出し版をガラス面へ密着させ、製版時の版の浮きを万遍なく抑える仕掛けのテキにあったものとはレベルが違った機械でした。
そして大きな枠も4枚借りる事が出来、準備は整ったのでした。

いざ版作り。全ては原寸大での作業。まずはもと絵作り。元絵が完成すると8色の分版を考えながら、1色分毎にトレペにダーマトで写しとっていきます。それが型紙となります。
濃く描くとその濃い部分が抜けて、印刷でいうと100%の色になる。感光剤は濃い濃度でマスクされ光に感光しないので定着せず、露光後の洗浄で溶けて落ちる仕組み。
そして、さらに色の階調や色の掛け合わせも利用して色の表現に幅を持たせようとします。
版画でも印刷でも今でも版というのは、細かさはさておき、すべてゼロかイチ。
抜けているか抜けていないかです。


ここでもそれは同じことで、ではダーマトで網点みたいなモノをどうやって描くのか、、そこで、わたしが出来る技といえば粗めの紙やすりを下に敷き、その上をダーマトで撫でることによって、無数の細かい点々を作り出すというとても原始的なやり方だったのです笑
そんな力技で網点を作りだし階調や色の掛け合わせをしていたのです。

全ての版を描き終え、大きな枠にスクリーンを張り、それらを抱えてグラの暗室へお伺いしました。グラの副手の方が助手についてくれました。わたしの方で用意した枠は木製で少し枠の幅が広く、若干露光機への収まりが悪く版を密着させるバキュームが少し空気が抜け気味、それを2人で押さえつけ何とか全8版の感光が終了。

片付けている最中ふと、暗室の中に版下であろうフイルムが吊るしてあるのに気づきました。
そこには繊細な網点で表現された女の人の写真に、新聞の様なキレイな文字が組み合わせた絵柄の版下で透明のフイルムに描かれた、とても人の手では描けない様なシャープなモノ。


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こ、これは、、
その時、わたしが手に持っていたのは、ダーマトで描かれ仕事を終え、ヨレヨレになったトレペの版下。一瞬で頭をハンマーで殴られた様な衝撃を受けたのを今でも覚えている。
その精密さやモダンさ、プロっぽさというか、製品ぽさ、、いやカッコいい。。その網点はアンディウォーホルの作品で見たアレだ。。。そんなのがここで出来るんだと。。。
4年生ももう終わりの、最後の作品を作っている時に気がついたのです。
急にわたしのやっている事の幼稚さが恥ずかしくなった。
あまりにも知らなさすぎたコト、探究心の無さに、表現力に、である。
しかも、その時グラの教室に居ながら、それとグラフィックデザインが自分の中では結びつかなかったのです。
その時のわたしの頭の中はアート志向で、その版下の持ち主も、アートとして描いたものだと勝手に捉え、グラフィックデザインと、ではなく絵として頭の中で無意識にその表現力に衝撃を受けていたのでした。
が、今となってはそれが何だったのかは結局分かりません。その時一緒にいた副手の方にそれを尋ねる事もしませんでした。。いえ、出来ませんでした。
今思うと、勇気を出して聞いていれば良かったって思います。
これは、わたしとグラフィックデザインが「すれ違った」初めての体験でした。

いよいよ完成へ

全ての版が焼き上がり、洗い流され8枚の大きな版が完成しました。
インクを刷るスキージもまた特注サイズ。幅1.2メートルのスキージを均等な力でもって1メートルの距離を引いてこないといけませんが、これがとてつも無く重い。
ここではテキの副手の方に手伝っていただき、何度か紙にテストしてみて、さてさて本番です。
幅1.2メートル、長さ2メートルの帆布を板に延ばして貼り固定します。
それを5枚作るので、使用するインクの量も相当なモノ。
またシルクスクリーンは1色刷るとそれを1日乾かしてから、次の色を刷る事ができますので、
なかなか時間が掛かります。
日に日に版が重ねられていき徐々にその姿を現し始めます。うれしい。

荒削りな継ぎ目と多少の版ズレはご愛敬、とにかく大作が完成しました。
帆布の端を木で挟み、金工で手伝ってもらいエッチングで仕上げたエンブレムをつけました。
幅6メートル、高さ2メートル。
頑張った甲斐あってか全員が載ることが出来ない卒業制作作品集に掲載される事になり有終の美を飾ることが出来ました(おおげさ笑)

さて、、それはどんな絵やねん??と、もし、ここまで読んでくださった方は気になるかと思いますが。。

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笑わないでくださいね笑

少しグラフィックデザインと触れる瞬間がありましたが、まだこの時点でもわたしはグラフィックデザインと出会えておりません。わたしはいつグラフィックデザイン出会えるのでしょうか。。

さて次回はいよいよ卒業です。

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