陸上のライフセーバー
私は複数人で会話することが苦手だ。いや、苦手を超えて苦痛だ。
発表の場であれば、勝手に自分の番が回ってくる。決められた時間の中で、決められた手順で話せばいい。1対1の会話であれば、何か言われたら返せばいいし、私が何か言えば、また相手も返してくる。
しかし、複数人での会話はそうはいかない。話し手が多数存在し、同時多発的に発言がなされる中、途端に発言のタイミングが掴めなくなる。
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私が声を発さなくても、自動的に話は進む。タイミングを探しては見送る中で、まるで自分はここに存在していないかのように思えてくる。そうなると、後は籠城戦だ。眠そうなフリをしたり、さも急ぎの連絡がきたかのようにスマホを操作する。この場にいるのに、輪に入れない違和感を解消するための言い訳を作り出す。この時の私は、生きているフリをした死体だ。いや、本当に死んでいるわけではないから、仮死状態だ。
本来、仮死状態であれば何も感じないように思うのだが、この時は胸が苦しく、時間が進まなくなる。拷問のような時間が、ただ終わることを待つ。溺れそうな感覚の中で静かにもがく。
そんな私を、生き返らせてくれる人がいる。
「何してるの?」「どこから来たんですか?」「話しませんか?」
言葉は何でもいい。私に焦点を当てて、話しかけてくれるだけで、私は生き返ることができる。水中から陸に上がったように体が軽くなる。彼/彼女らは私にとってライフセーバー。ある時までは、ライフセーバーに見つけてもらえることを運が良いことだと思っていた。
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入社したばかりの職場の飲み会。一回り年上の先輩に救助された時、何故話しかけてくれたのか尋ねてみた。
「僕も昔は飲み会が苦手でさ。君も同じタイプでしょ?」
偶然話しかけてくれたわけではなかった。全てではないかもしれないけれど、私が運が良いと思って受け入れてきた救いの手は、優しさが生んだ必然だった。本当にライフセーバーだったのだ。
私も、人の中で感じる孤独や疎外感のつらさを知っている。陸で窒息しかけた経験がある。そして、救われた時の喜びも知っている。
幸い、社会経験の中で少しばかり対人能力は向上した。だから、人の輪の中で息苦しそうな人を見かけたら、こっそり近づいて声を掛ける。過去自分が救われたように、誰かの力になれたらいい。
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誰もが、どこかで息苦しい思いをしている。でもその分、それを乗り越えたライフセーバーがいるはずだ。私たちは誰かの優しさで守られているし、優しさで誰かを救うこともできる。