現代語訳「玉水物語」(その二)
玉水は様々なことにつけて優雅に上品な風情で、何気ない遊びなども含め、姫君のそばで朝夕慣れ親しんで仕えた。朝に手水《ちょうず》で顔を洗い、夜に姫君の乳母子《めのとご》の月さえと同じ衣の下で寝るまで、立ち去ることなくいつも一緒にいた。
庭に犬がやって来ると、玉水は顔色が変わって身の毛がよだち、食事が喉を通らなくなった。極度に恐れる様を心苦しく思った姫君は、屋敷から犬を追い出した。
だが、このような二人の関係を妬《ねた》む者もいた。
「何とも大げさな恐れ方だ。姫君の寵愛《ちょうあい》が羨《うらや》ましいことよ」
こうして月日が過ぎ、五月中頃の月の冴え渡ったある夜、姫君は御簾《みす》の端《はし》近くまでいざり出て物思いにふけっていると、時鳥《ほととぎす》がやって来て通り過ぎた。
郭公《ほととぎす》雲居《くもゐ》のよそに音をぞ鳴く
(雲の彼方《かなた》から、ほととぎすの鳴く声が聞こえます)
姫君が上《かみ》の句を詠むと、玉水がすぐに下《しも》の句を詠んだ。
深き思ひのたぐひなるらむ
(きっと、姫さまのことを愛しているのでしょう)
そのまま二人で思いを語り合っているうちに、どうしたことか姫君は心の中で玉水のことを慕わしく感じるようになった。
「ひょっとしてこれは恋なのだろうか。それとも、わたしたちを恨む他人の心が乗り移ったのだろうか」
奇妙なことだと思いつつ、姫君は歌を詠んだ。
五月雨《さみだれ》の程は雪ゐの郭公《ほととぎす》
誰《た》が思ひ寝《ね》の色を知るらむ
(五月雨の間、雪のように白い雲の彼方《かなた》にいるほととぎすを、恋しく思いながら独り寝していることを誰が知っておりましょう)
すぐに玉水が返歌を詠んだ。
心から雲ゐを出でて郭公《ほととぎす》
いつを限りと音をや鳴くらむ
(雲を越えてやって来たほととぎすの鳴き声が、心から「いつまでも一緒にいます」と告げているように聞こえます)
続いて月さえも歌を詠んだ。
覚束《おぼつか》な山の端《は》いづる月よりも
猶《なほ》鳴きわたる鳥の一声
(山の端《は》から出る月よりも、鳴きながら渡る鳥の声の方が待ち遠しく感じます)
話しているうちに夜が更けたので、姫君と月さえは部屋の中に入ったが、玉水は「月が名残惜しいので」と断ってその場に残った。
玉水は来《き》し方《かた》行く末に思いを馳《は》せた。
「それにしても、わたしはいつまでの命で、最後にはどうなってしまう身の上なのだろう」
自然に涙が溢《あふ》れ、袖が絞れるほどに泣きながら歌を詠んだ。
思ひきや稲荷の山をよそに見て
雲ゐはるかの月を見るとは
(狐たちの住処《すみか》から遠く離れ、雲の彼方《かなた》に浮かぶ月を見ることになるとは思いも寄りませんでした)
心から雲ゐを出でて望月《もちづき》の
袂《たもと》に影をさすよしもがな
(雲から出て、満月のような姫さまの袂《たもと》に光を差す方法があればいいのにと心から思っています)
心から恋の涙をせきとめて
身の浮き沈《しづ》みむことぞよしなき
(恋の涙を堰《せ》き止めて身体が浮き沈みするのは、まったく甲斐《かい》のないことです)
いつまで経《た》っても玉水が中に入ってこないことを心配した月さえが戻ると、このように歌っているのを耳にし、どういう意味なのかと不審に思って尋ねた。
よそにても哀《あは》れをぞ聞く誰ゆゑに
恋の涙に身を沈《しづ》むらむ
(どこか他の場所にいる愛《いと》しい誰かのために、恋の涙で身を沈めているのですか)
これを聞いた姫君が歌を詠んだ。
おほかたの哀《あは》れは誰も知らずやと
身には習《なら》はぬ恋路《こひぢ》なりとも
(この身に慣れない恋路だとしても、世間の愛情は誰も知らないことでしょう)
「もう夜も更けたので、早くお入りなさい」
姫君に促された玉水は泣きながら部屋の中に入り、月さえと一緒に姫君に添い伏した。だが、胸中の思いを口にできないためであろうか、まどろむこともできなかった。
(続く)
【 原文 】 http://www.j-texts.com/chusei/tama.html
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