現代語訳『さいき』(その24)
対面した正室は、目映《まばゆ》いばかりの相手の美貌に胸を衝《つ》かれた。
「何と気品のある女性でしょう。武帝《ぶてい》の李夫人《りふじん》や楊貴妃《ようきひ》、衣通姫《そとおりひめ》、小野小町《おののこまち》といった伝説の美女たちと比べてもまったく遜色なく、あまりの美しさに茫然《ぼうぜん》とします。殿《との》はこれほどの方を見放したのですから、ましてやこのわたくしのことは、長い在京中に一度たりとも思い出さなかったに相違なく、不得心な人を頼みに思っていた自分が嘆かわしくてなりません。これを機に剃髪《ていはつ》して出家致しましょう」
決意を固めた正室は本邸に戻り、佐伯に向かって静かに告げた。
「都からお見えになった客人が待っておりますので、すぐにお会いになってください」
佐伯は何も気がつかぬまま、女のいる別邸へと向かった。
その後、正室は髪を切って手紙に添えると、人知れず屋敷を立ち去った。
(続く)
★
正室は京の女と対面しました。
相手の比類ない美しさに驚き、彼女を捨てた佐伯を嘆き、彼を頼っている自身を振り返り、――出家しました。
ひょっとすると、意外で唐突な展開だと思う方も多いかもしれません。
わたしも最初、出家に至った理由がよく分かりませんでした。
そもそも、佐伯が京の女を愛人とし、後に捨てた事実は手紙を読んだ時点で把握済みで、彼が頼りにならないというのも同じタイミングで確定しています。しかも今回、正室は女の姿を見ただけで、まともな会話すらしていません。
以上の消去法から、正室の出家は「京の女を目にした」ことが直接の原因だと推測できますが、この「姿を見る→出家する」という理解し難いロジックが謎を解く鍵となります。
ここで正室の発言を読み直すと「美しい京の女を見捨てた佐伯は、自分のことなどまったく興味がないに違いない」と言っています。人の魅力は容貌以外にもたくさんあるはずですが、正室の主張はあくまで「美」がすべての尺度です。あの聡明な正室が、卑下ではなく本気でそう考えています。
正室の考える「美」とはいったい何か――彼女の理想に限りなく近い、京の女の描写にヒントがあります。
京の女は佐伯の目を通して「仏の生まれ変わりのような姿」(原文は「三十二相のかたち」)と表現されていますが、これは彼女の「仏性」(人が本来持っている仏としての本性)が表に現れていることを意味しています。
(あまりぴんとこない人は「後光が差す」「オーラをまとう」「神々しい」といった様をイメージすると分かりやすいかもしれません)
つまり、正室にとっての究極の美は「仏」であり、京の女から仏の存在を強く感じると同時に、自分と佐伯の情けなさを自覚してしまったため、発心(出家)に至ったと解釈ができるわけです。
ここで重要なのは、あくまでメインは「仏性(究極の美しさ)を感じた」ことで、仮に京の女と佐伯との間に関係がなかったとしても、京の女と出会っただけで出家した可能性があります。
――長々と説明を続けてしまいましたが、「美しい仏像を見たことがきっかけで出家した」という仮のエピソードが理解できるのなら、仏像を京の女に置き換えたのが今回の話となります。
余談ですが、女性が恋敵と接触して出家を考えるのは、古典でしばしば見掛けるシチュエーションです。ただ、ほとんどの場合は「女性は生まれながらにして罪深い」という仏教の定番テーマとセットで、自分や相手の嫉妬心を強く意識して自己嫌悪に陥るのが前提ですので、今回のケースには当てはまりません。
それでは次回にまたお会いしましょう。
【 主な参考文献 】
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