現代語訳「玉水物語」(その八)
玉水の養母は、落ち着いている間は心細げなことを口にし、時折、発作が起きると物の怪《け》に取り憑《つ》かれたように正気を失った。
ある時、養母は発作が少し治まってから玉水に向かって言った。
「このような有様《ありさま》なので、最後には死んでしまうのでしょう。わたしがこの世からいなくなったら、あなたは誰を母と頼めばいいのかと思うと不憫でなりません。――この鏡はわたしが母から譲り受け、命の限り手放すまいと肌身離さず持っていたものです。わたしの形見と思ってください」
養母は鏡を渡すと、「すぐに宰相殿のお屋敷にお戻りなさい」と勧めたが、見捨て難く思う玉水は里に留《とど》まり、一日、二日と時が過ぎた。
三日後、姫君のもとから手紙が届いた。
「ご母堂のご病状はまだよろしくありませんか。もし、多少よくなったのでしたら、早く帰ってきてくれませんか。あなたのことを考えると物思いに沈み、悲しみで目の前が真っ暗になった気がします」
手紙には歌が添えられていた。
年を経《ふ》るはゝその風にさそはれば
残る梢《こずゑ》はいかになりなむ
(年月を経た柞《ははそ》の木が風に誘われたら、残される梢《こずえ》はどうなってしまうことでしょう)
少し気分が落ち着いていた養母が、この手紙を読んで喜んだ。
「誠に恐れ多いお言葉です。もしあなたが宮仕えしていなければ、わたしはもうこの世に生きていなかったでしょう。とにかくもありがたいことです。実の子よりもあなたのことを誇らしく思います」
また、月さえも細やかな筆遣いの歌を送ってきた。
初花《はつはな》のつぼめる色のくるしきに
いかに木の葉の色を見聞《みき》くに
(今年初めての花のつぼみが、木の葉の色を知って苦しそうな色をしています)
しかし、二人の手紙を読んでも玉水の思いは晴れなかった。
玉水は姫君への返事をしたためた。
「お気遣いのお言葉、誠にかたじけなく、言葉にも筆にも尽くせません。いつも姫さまのことが心配で、すぐにでも参上したいと思っているのですが、一方で母のことも見捨て難く、少しでも体調が悪い折はそばに付き添い、自分で世話をしたいと思っています」
ちりぬべき老木《おひき》の花の風吹けば
残る梢もあらじとぞ思ふ
(間もなく散りそうな老木の花に風が吹けば、梢《こずえ》も残らないと存じます)
月さえにも同じように歌を書いて返した。
陰たのむくち木の桜朽ち果てば
つぼめる花の色も残らじ
(光を頼りに思う、枯れかけた桜が朽ち果ててしまったら、つぼみの色も残らないことでしょう)
(続く)
【 原文 】 http://www.j-texts.com/chusei/tama.html
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