現代語訳『伽婢子』 幽霊諸将を評す(7)
「その昔、信玄がまだ若かりし頃、好色に溺《おぼ》れて国の政《まつりごと》を怠った。板垣信形《のぶかた》に繰り返し諫《いさ》められてようやく心を入れ替え、敵を討って国を併合する謀《はかりごと》に専念し始めたが、信濃国諏訪大社の祝部《はふりべ》・諏訪頼重《よりしげ》が降参して旗下《はたした》に付き、甲府に参じようとした折に、お前は主《あるじ》に次のように進言した。『頼重を殺して城を奪わなければ馬の脚が立つ場所もなく、信州を手に入れることはかないません。だまし討ちにし、信州攻略の拠点としましょう』と。お前の策は実行に移され、下ってきた頼重は殺された。世に『窮鳥《きゅうちょう》懐に入れば猟者も殺さず』ということわざがあるが、既に恭順の意を表していた頼重を殺したお前の行為は人の道理に外れ、仁の道に背くものだ。よもや、あれを軍法の秘事、知略の一つとでも言うつもりはなかろうな。明らかに非情な所業で、武道の本意からもかけ離れたものであり、その残忍な心は虎狼《ころう》同然だ。しかも、眉目秀麗な頼重の娘に心を奪われた信玄が、自分の妾《めかけ》に召し抱えようと考え、密かにお前に相談した際に、何ら問題はないと答えた。信玄はその言葉に従い、奪い取って側室にしたが、お前の佞奸《ねいかん》は甚だ憎むべきもので、生まれながらにして人が持つ純粋な心根を破り、正道《せいどう》を失ったものである。目の前で父親の首を刎《は》ねられた敵の娘を奪って自分の妾にし、すべてを忘れて己の欲望のはけ口にするのは、仁者《じんしゃ》のすることではない。どうしてあのときに理《ことわり》を説いて諫《いさ》めなかったのだ。その後、妾の腹から勝頼《かつより》が生まれた。妾から見れば、嫡子・義信《よしのぶ》は継子《ままこ》だ。口達者で利口だったので、義信を憎むだけでなく、信玄に様々な讒言《ざんげん》をした。信玄は決して思慮が浅くはなかったが、色に溺れ、心を奪われていたために、妾の言葉を信じて義信を殺し、他にも譜代《ふだい》の忠義の臣・飯富《おぶ》兵部《ひょうぶ》をはじめ、長年、功績があった八十余人の侍を咎《とが》もなく殺した。ひとえにお前の奸計《かんけい》が元で、諫めるべき主の行いを諫めず、非道に従って口を閉ざしたことに原因がある。これがお前の第一の罪である」
(続く)
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長野業正《なりまさ》による、山本勘助(武田信玄の参謀)の罪の追求が始まりました。武田家は信玄の死後、勝頼の代に滅びましたが、そのきっかけは山本勘助の策で、諏訪頼重と娘の処遇を誤ったためとのことです。
先に「三つの大罪がある」と宣言していますので、残り二つが控えています。
続きは次回にお届けします。それではまた。
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